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1912年3月16日、川崎重工業神戸造船所で起工。1913年12月14日進水、1915年4月19日巡洋戦艦として竣工、横須賀鎮守府に入籍。同年12月に第二艦隊第三戦隊に同型艦3隻と共に編入。
太平洋戦争開戦時は高間完(たかま・たもつ)大佐を艦長として第一艦隊に属し、三川軍一中将率いる第三戦隊に僚艦三隻と共に配属、同型艦金剛と第一小隊を組み南方作戦支援に回された。1941年12月4日、馬公を拠点に出撃し、陸軍の馬来上陸作戦支援を皮切りに、比島上陸作戦・蘭印(オランダ領東インド=現インドネシア)攻略作戦などを支援した。この間、シンガポールを出撃した英戦艦プリンス・オブ・ウェールズ・同巡洋戦艦レパルスを中心とする英国東洋艦隊を迎撃すべく邂逅を図るも果たせず、同艦隊が日本軍航空隊に壊滅させられるという一幕もあった(マレー沖海戦)。
1942年2月には真珠湾攻撃などを終えて回航された南雲機動部隊と合流、同型艦4隻が揃ってインド洋作戦に従事、3月1日にジャワ島近海でオーストラリア方面へ遁走する米駆逐艦エドソールを僚艦と共に砲撃により撃沈、3月7日にはクリスマス島砲撃を行った。
同年6月5日ミッドウェイ海戦では、霧島と共に機動部隊の護衛に当たるが味方空母部隊は全滅、奮戦のすえ攻撃を受け炎上する空母飛龍の乗員を救助するが、榛名自身も至近弾を受けて損傷した。本海戦帰還後、高間艦長(5月に少将昇進)が第四水雷戦隊司令官へ転属、6月22日、後任として石井敬之(いしい・たかゆき、または、けいし)大佐が艦長に着任した。また、7月14日には所属を第二艦隊(戦艦部隊を主力とする)へ移し、金剛と共に第三戦隊を再編成した(比叡・霧島は第十一戦隊を編成して第三艦隊に編入)。
同年9月、激戦化したガダルカナル方面の戦闘に参加するため前進部隊本体に編入され、トラック島へと本拠を移した。苦境に立った陸軍の要請により10月13日、金剛と共にヘンダーソン飛行場を砲撃で一時使用不能にしたことは、よく知られている。ちなみにこの折、航空支援の無い艦隊での航空基地攻撃に難色を示す第三戦隊司令官栗田健男中将に対し、山本五十六連合艦隊司令長官は「金剛・榛名が行かないと言うのなら、自分が大和・陸奥を率いて実行する」と強く説得したと言われている。
同年10月26日、ガダルカナル島を巡る一連の戦闘の1つである南太平洋海戦に参加するが、空母艦隊同士の航空戦に終始し、また主力空母部隊とは別行動であったため、戦闘の機会も無かった。
同年12月24日に第三戦隊は第三艦隊(再編された空母機動艦隊)に編入、翌1943年2月ガダルカナルからの撤収作戦(ケ号作戦)を支援する。その後いったん内地へ戻り修理や細かい改装などを施し再びトラック島へ向かうが、5月にアッツ島玉砕など北方戦局の悪化に伴って再び内地へと帰投待機し、翌月トラック島へ戻った。この間、6月14日に艦長が森下信衛(もりした・のぶえ)大佐へと移った。以降年末までトラック島やブラウン環礁方面で活動していたが、特に戦闘などは起きなかった。
1944年1月25日、戦艦大和艦長へと転任した森下艦長の後任として重永主計(しげなが・かずえ)大佐が着任。反攻作戦によりサイパン島に上陸した米軍及びそれを支援する米艦隊を撃滅すべく計画された「あ号作戦」が発動され、同年6月19日マリアナ沖海戦に参加、戦艦大和など前衛部隊の一艦として出撃するも、主力空母部隊は大損害を受け敗退、榛名も直撃弾2発を受けて損傷する。この損傷は意外に深手で、修理完了後も全速力を出すと艦尾が振動するなど「榛名」の戦力発揮に影響を与えた。損傷修理と併せて舷窓閉塞など不沈工事や対空火器の大幅増強が行われている。
同年10月フィリピン・レイテ島に上陸した米軍に対し発令された捷一号作戦に参加、本艦は栗田中将指揮の第一遊撃部隊の一艦として上陸中の米陸軍部隊を砲撃すべく進撃を続け、25日サマール島沖にて発見したスプレイグ少将指揮下の第77任務部隊との交戦、いわゆるサマール島沖海戦では米艦隊を追撃したが、前述の艦尾振動の影響により「金剛」ほどの戦果を上げることができなかった。混乱する戦局の中で栗田中将より撤退命令が下され、榛名も帰途スル海(フィリピン西方海上)において米軍の追撃により至近弾を受け損傷する。このため内地に帰投、呉にて修理を行った。同年12月20日、高雄警備府参謀副長へ転任した重永艦長(10月15日少将昇進)に代わり、軽巡洋艦矢矧前艦長・吉村真武(よしむら・まさたけ)大佐が着任するが、吉村艦長指揮のもと出撃する機会は二度と無かった。
最後
1945年(昭和20年)に入ると敗戦続く日本では艦船を運用する燃料にも事欠く状態となり、レイテ沖海戦を生き延びた本艦も修理を受けた呉で停泊するのみとなった。2月には呉鎮守府の警備艦となり、1945年3月19日、呉海軍工廠前(工廠内とも)に停泊中、ミッチャー中将率いる米第58任務部隊の艦載機による爆撃を受けたが、このときの被害は軽微だった。4月になって予備艦籍に入ると、マリアナ沖海戦後の改修で大幅に増設された対空火器や、副砲の大半及び対空指揮装置などを陸上防衛に転用のため撤去されてしまった。6月22日にB-29により直撃弾1発を受け、防空砲台となるべく呉の対岸・江田島小用沖に転錨、結果としてそこが最期の地となった。7月24日と28日の呉軍港空襲により今度はマッケーン中将率いる第38任務部隊による大規模な攻撃を受け、同様に燃料も無く為す術の無い状態の航空戦艦伊勢・日向や航空母艦天城らと共に停泊していた榛名は、2番砲塔の砲側照準による3式弾射撃などによって激しく抵抗を行ったものの20発以上の命中弾を受け浸水、大破着底した。このとき前部主砲や対空兵装の一部はなおも使用可能な状態であったというが、もはや本艦に戦う機会は無く、そのまま終戦をむかえた。なお、最期の姿は主砲塔などに縞状の迷彩を施し、艦橋には網を使ったカモフラージュを行っていたが、これらはほとんど意味を為さなかったと思われる。
呉停泊中に榛名が受けた命中弾は米戦略爆撃調査団によると、3月19日に1発、6月22日に7発、7月24日1発、7月28日に7発、他に至近弾多数というものである。残された写真では後部に大きく傾斜しており、正面からの写真では艦首左舷も大破しているのが見て取れる。右舷側は江田島に近かったことから左舷を中心に攻撃を受けたことが伺える。上記本文と米戦略爆撃調査団による命中弾数が異なるのは、日米において命中弾・至近弾の認識の違いによると思われる。
1945年11月20日除籍、1946年5月2日浮揚解体作業着手、同年7月4日解体完了。
(以上 ウィキペディアより)
大破着底した榛名(1945年10月8日)
主要目一覧(レイテ沖海戦時)
基準排水量 32,156t
全長 222m
速力 30ノット
航続距離 10,000海里/18ノット
乗員 1,315名
主砲 四一式35.6cm連装砲4基
副砲 四一式15.2cm単装砲8門
高角砲 12.7cm連装砲6基
機銃 25mm3連装24基
同連装2基
同単装23挺
その他兵装 21号電探1基
22号2基 13号2基 |
1/350 戦艦 榛名
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早いものでホビーショーから1週間たったんですねぇ。
なんだかまだ余韻に浸っているような感じです。
で、ホビーショーに間に合わなかった艦載機を作りました。
いつもご訪問いただいている方々の中には航空機モデラーの方も沢山みえるので、こんな物をお見せするのはお恥ずかしいのですが、恥をしのんで掲載します。
零式三座水偵
一応張り線もしてみました。
風防はクリアパーツだったのですが、エッチングの残り物でデッチあげ。
コクピット内部にシートだけ付けてみました。操縦桿もやってみたかったのですが、今回は断念です。
もう一機
零式観測機
こちらも風防をエッチング化、シートの取り付け、張り線と同じように施してみました。
で、これらを榛名に搭載します。
零式三座水偵察はカタパルト上に、零式観測機はレール上に配置しました。
こんな感じになりました。
これでようやく、本当の完成です。
ここで、前作の磯風とならべて写真を撮ってみました。
やはり戦艦は駆逐艦と比べると大きいんですねぇ。こうやって同一スケールで並べるとよく解ります。
で、榛名も大和のケースに収まり、こんな感じになりました。
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GWも終わりました。みなさんは有意義に過ごされましたでしょうか?みなさんのところへの訪問もろくにせず失礼しておりました。
自分も前半は家族サービスを頑張っておりましたが、後半は嫁さんがおチビさん達を連れて実家に泊まりに行っていたので、一日中模型いじりをする時間が丸一日ありました。w
さて、榛名の方ですが、GWは最後の追い上げということで、毎晩夜中まで頑張っておりました。
まずは、高角砲です。モールドの足掛けを真鍮線で再現。砲身はフクヤの真鍮砲身に換装しました。
お次はパラペーンです。これは機雷除去用の道具です。
これもエッチングやプラ材などでそれらしくデッチ上げ。 え〜っと、このほかにもいろいろ小物やカタパルトなどを作ったのですが、何せ追い込みってことで頑張って作っていたら、途中経過をすっかり撮影し忘れてました。(爆)
で、結局空中線も張って、菊のご紋章も取り付けまして・・・・・・・・・・・・
とりあえず、なんとか展示会には出せる形までできました。残るは艦載機だけです。
というわけで、いろいろな角度から写真を撮ってみました。
今回の榛名では、左舷に水兵さんを配置し、右舷には配置しませんでした。
水兵がいる場合と、水兵なしで純粋に構造物を見ることができる場合を再現したかったからです。
ちなみに、これが右舷です。
今回は台座も自作しました。キット付属のものは船体に穴をあけて取り付けないとどうしても安定がしないのですが、どうも船体に取り付けるってのがイヤなんでこういう物にしてみました。
今後の製作でも同じデザインで作っていけば統一感もでていいかもって思ってます。
艦載機については、2機あるのですが、のこり1週間でできるかどうかは不明です。間に合えば搭載していきたいとは思いますが、間に合わなければ、この状態での展示となります。
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世の中は今日から連休の人も多いのですね。でも、うちはカレンダー通りなので、明日一日はお仕事です。
まぁ、カレンダー通り休めるだけでもありがたいのですが、一日だけ仕事にいかないといけないのも面倒なものです。
で、いよいよラストスパートウイークに突入です。
なんとか連休中に形にしておかないと本当に間に合わなくなっちゃいますからね。
今回は、連装機銃と3連装機銃です。
このフジミの榛名の機銃はなかなか良いです。
キットのままでもこのパーツ割なので、なかなかのデキです。
さらに、ハンドルやシートなどが純正エッチングでついているので、これに変えるだけでかなりの精度になります。
で、そのまま作っても十分なので特に手は加えず、そのかわり今回の機銃はいくつか塗り分けてみることにしました。今までは黒一色で塗ってばかりだったのですが、それでは折角の細かな部分もわかりにくくなっちゃいます。そこで、パーツ分割を活かして、銃身部分は黒、本体部分は軍艦色、シートはウッドブラウンにしてみました。
というわけでできたのがこちらです。
連装機銃です。
3連装機銃です。こちらには照準器もついてます。
で、これらを早速配置しました。
とりあえず、こんな感じです。
さ〜、今日もこれから頑張りますよ〜w |
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ホビーショーまであと3週間になってしまいました。ここらでラストスパートをかけないといけません。
といいつつ、なかなか進まないんですがねぇ。(涙)
で、今回は高角砲のブルワーク。
って気ばかり焦ってしまい、できあがるまで写真を撮り忘れてました。(爆)
一応手を加えたところの説明です。
テスリが毎度の自作です。あと、ラッタルもプラパーツで再現されていたのですが、エッチングに置き換え。
張り出し部分裏側の補強板に軽め穴をあけました。
今回はもう少し作業します。
艦橋に信号旗ようロープを取り付けました。
これもおなじみの、白いストッキングの糸です。
この後、ようやく艦橋を船体に接着しました。というわけで、この艦橋背面からの姿はこれが見おさめです。
さ〜、あと3週間でやらないといけないのが・・・・・・まだまだ沢山あります〜。(涙)
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