性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・リプラン発行人

出張&旅先にて

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昨日は仙台・宮城県で行動して仙台オフィスから札幌帰還。
あれこれの作業をしたあとだったので、
あんまり情報を集めることなく、クルマをオフィス駐車場に置いて
空港アクセスの電車に間に合うようにと飛び乗った。
まぁ日中行動中、高速道路など高い位置では強風が吹いていて
「これは飛行機は無事に飛べるのか?」という不安は持っていた。
なので、最終便近くではあるけれど、早めに電車を利用した。
で、18時過ぎに来ていた電車に滑り込んでスマホで各種やりとり作業。
っていう時間待ちをしていたが、さっぱり発車の案内が流れない。
そういえばホームの「次の発車時間」表示は17:30前後を案内しているのに
もうすでに1時間近く経過している。
はじめのうちは「表示案内が故障しているのか」と思っていたが
どうやらそうではなく、ただただ遅延しているようなのです。
そういった状況だけれど、車内アナウンスではなんの案内も無い。
そのうちになんの知らせもなくなんと、ほかの車両が連結されて
その衝撃が車内に響き渡った。
「あ、連結した!」という車内のオドロキの声が伝わってきた。
衝撃はそこそこあったけれど、まぁ転倒事故などが起こるほどでもなかった。
しかし相変わらず、なんの案内も無い。
乗車してから30分くらいなんの知らせも無いまま、待たされていた。
さすがにスマホでの作業もだいたい終了したのでやることもなくなった。
ようやく「間もなく発車します」という案内だけが流された。
途中、名取駅の前で今度は「信号待ち」停車。
その名取駅では「対向車両通過待ち」ということでこれも10分くらいの停車。
まぁなんとなく、強風の影響かなぁというのは想像しているけれど、
それにしても、そこからようやく順調に運行して仙台空港に到着しても
「・・・の影響で」という車内案内は一度も無かった。
強風の影響というのは「わかっているだろう」という前提のようです。
わたしも時間に十分の余裕を持って行動していたので
問題はなかったのではありますが、
念のために写真のような「証拠」はいただいておいた。

まぁ、車内アナウンスには規則のようなモノもないでしょうから
なんの知らせも無いということは乗客として受忍すべきではあるのかも知れません。
旅行約款的に問題が無いだろうことも理解は出来る。
しかし「空港アクセス線」と名乗っているのですから
そのあと飛行機に乗るひとが大多数なワケで
そういったことへの配慮、告知はあってしかるべきではないでしょうか?
今後時間に余裕がないときには電車利用を控えるべきなのかも知れません。
って、なんか違うような気もする・・・(笑)。

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わたしは小学生のころ10才上の兄の運転するクルマに同乗して以来、
クルマとの付き合いは約60年近くになる。
18才の運転免許取得可能年齢になったら即取得しました。
で、学生時代には運転手のアルバイトをずっと続けていた。
大学卒業後勤めることになった会社では、入社試験代わりに出張に同行して
社長の運転手を務めていたりもした。
慣れていたので、「安全運転で行きますので、よろしくお願いします!」と
物怖じもせず社長にきっぱり宣言してからハンドルを握った。
まぁなんとなく自己主張せずにハンドルを握ったりして
助手席にいる上司に気を遣ったりすることがあるとキケンだと思ったワケですが、
運転すると言うことは「命を預かる」ことでもあるので、
それくらいの自己宣言することは安全上の必要があると思いました。

そんな若いときからの運転歴ですが、
たぶん戦後の社会で多くの人が同じような経験をしてきたことでしょう。
そんなクルマ運転への空気のようなフツー感覚があって、
仕事でも移動することが前提になる仕事の作り方に
まったく抵抗がないというか、ごく自然にそのような選択をしてきている。
たいへん広域な北海道とか、東北全域といった事業サイズでメディアを構想し
相当大きな移動スパンを前提にして事業を考えてきた。
という次第で、クルマの運転に対して強い疲労感は持たなかった。
ある時期までは1日移動距離500-600kmというのは苦にしていなかった。
ところが、50代はじめのあるとき、
東北道・長者原PA手前でアタマがふらふらしてきた。
どうやら貧血っぽい症状があらわれて、高速運転ができなくなった。
20-30km程度の運転がやっとで、ようやくたどりついた長者原PAで仮眠した後、
すぐ近くの東横インにチェックインして倒れ込むように休んだ。
それ以来、1日走行距離の限界を400km程度と算定して、
それ以上の長距離・長時間運転は避けるようにしています。
今回、仙台から一番遠くではむつまで走ったのですが、
この距離が大体400km程度になる。ギリギリとは思ったのですが、
やはり前述のような経験があるので、時間が遅くなってきたこともあって
300kmを超えるようになってからは、PAで周辺ホテルを探したりしていました。
こういう体験はトラウマのように自分を追い詰めてきますね。
まぁなかなかホテルが見つからず、なんとか、仙台まで到着もして
問題はなかったのですが、やはり年なので、ゆとりのあるスケジューリングをと
反省しております。ちょっと長すぎ・・・。
でも久しぶりの長距離運転しているウチに、
ようやく「疲れない走り方」を思い出してきていた。
それは、トラックとペースを合わせて後続していく、というもの。
大体長距離運転がフツーのかれらは、スピード選択も間違いが無いし、
きちんと休憩もしっかり取っていますね。
おかげさまで、帰りの仙台までは比較的ラクに運転しておりました。

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仙台から帰還しました。
金曜日から日曜日の3日間の旅程で各種取材、訪問活動。
いろいろ取材もあったので、そういう報告もまとめますが、
今回は飛行場のにぎわい、とくに新千歳空港の混雑ぶりがハンパなかった。
相対的に仙台の方は乗降も非常にスムーズでした。
折からさっぽろ雪まつりシーズンということもありましたが、
新千歳出発ロビー階の混雑ぶりはまさに異常な状態。
団体のみなさんなどが広い通路部分に並んでいたりするので
ヘタをすると「足の踏み場もない」ような状況が現出していました。
利用客もまことに国際色豊かで国内線路線だというのに、
日本語の話し声は少数派というような印象。
国内線旅客利用では2016年段階で、千歳は約1873万人で
羽田の約6494万人に次いで国内2位ということだそうです。
一方で仙台は速報値で約294万人。
羽田はご存知のように空港機能は実質2つにわかれていて、
しかもそれぞれで乗降口が千歳の3−5倍くらいある感じで、
たくさん歩かされるけれど、スムーズには「通過」できるように思う。
それに対して千歳は、乗降口が20くらいしか整備されていなくて、
とくに最近のLCの乗り入れ増加で爆発寸前ということなのでしょうか。
羽田に対して30%くらいの乗降客があるのに、
インフラ環境としては、かなり整備の遅れが目立ってきた。
参考にしたのは2016年段階データからのものですが、
その後の中国客の個人旅行の増加、国内線の利用増加を考えると
いまは、羽田の4割くらいまで伸ばしてきているのではと思います。
そうした点では仙台は、その千歳の1/6程度の利用ですから、
やはり地域観光客吸引、振興という面では、ややさみしい。
東北の「玄関口」というようには仙台は機能していない面もありますが、
震災復興需要もおおむね一区切り付いてきたことを考えると、
本格的に地域への吸引策を考えていかなければならない。
民営化プランが進行中ということなので地域を挙げての振興努力に期待。
千歳の場合、ショッピングモールとしての魅力も持っていて
旅客以外の利用者もたいへん多いとされている。

わたしは比較的に多くの地域の空港を利用することが多いので
こういった地域差を日頃から肌で感じさせられる次第です。
で、きのうはカミさんが迎えに来てくれたのですが
彼女はやや風邪気味。
もう1日休みがあるので、看病しつつ休養に努めたいと思います。

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わたしは自分で家事料理に積極的に関わっています。
感覚的にはカミさんとほぼ半々くらいにシェアしていると思っています。
だいたい生鮮食品については週末の「買い物」でまとめ買い。
それぞれでみなさん、お好みがあろうかと思いますが、
わが家の場合は、その機会が結構重要な夫婦の共有時間になっていて
そこでの「ライフスタイルの考え方共有」の部分が大きい。
食べるもの周辺は、やはり生き方の基本だろうと思う次第。
まとめ買いなので重量が重たくなって、
そういうのはやはりわたしの側、男が女に対して優越できる部分。
日常の買い物とはいえ、夫婦の重要な会話機会でもあると思っています。
カミさんも日常性の中の非日常性というような部分で
普段着のまま「モノを選ぶたのしみ」という感覚はあるようです。

で、写真は年末に行った京都の街の「高級スーパー」京都八百一本館。
街のど真ん中にあって、相当に地価も高そうで、
会社自体は百貨店の中の生鮮食品コーナーを運営したりしている。
スーパーマーケット一般としては郊外のいわゆる住宅街の
ターミナル周辺へと展開するのが常識的でしょうが、
業態の古い企業の場合、都市中心部での生活者需要が根強くあるだろうし、
また、集合住宅化してきて人口が漸増傾向にある地域も珍しくはない。
また、周辺の「店舗」などからの需要も多いと思われる。
たぶん周辺のひとびとの所得も高めということを踏まえて
商品えらびについては相当の研究が日夜行われているようでした。
たとえばレトルトカレーは特定商品名ですが、ボンカレーの
それも松山容子さんの笑顔のタイプのみを扱っていた。
ちなみに松山容子さんは1968年の発売以来、
長らく「ボンカレー」(大塚食品)のパッケージモデルを務め、
CMやホーロー看板でも知られる女優さん。ことし50周年と言うことで
記念イベントまで開かれたということです。
1937年生まれと言うことですから御年、80を超えられている。
まぁそのことは置くとして、レトルトカレー商品はほかにもあるだろうし、
消費者側としては商品や価格帯で選びたい部分もある。
それに対して、スーパー側としてこれを「押してくる」。
たぶんそういった個別の商品領域で、京都八百一の目力に叶ったモノだけが
展示販売されていると感じました。
ユーザーに選択機会をたくさん提供するというやり方ではなく、
「これ、オススメ」というように「絞り込んでくる」販売スタイル。

いわゆる「大衆」という平均値が大きくゆれ動いている社会で
こういった販売業でも、生き残りをかけてチャレンジが続いていると
興味深く「買い物」させていただいておりました。
ちなみにわたしは「さつまいも」を1本買って来ました(笑)。
いや、お店の目力が感じられ、その姿形が美しく感じられたのです。
しかも札幌に帰ってから料理して食べたら、出色のうまさだった(笑)。
消費最前線、人々の判断力の推移、教えられる部分が大きい。

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今回の旅の訪問先で面白かったのが、
石舞台見学から足を伸ばした飛鳥寺、飛鳥坐神社でした。
きょうは、こちらの「飛鳥寺」のことを探究してみます。
写真は飛鳥寺の現「本堂」と下の写真は東大寺大仏殿外観。
飛鳥寺の建築としての成り立ちとか、プロセスについてスタディ。
<a href="http://www9.plala.or.jp/kinomuku/asukadera.html"; rel="noopener" target="_blank">「古寺巡訪」</a>という個人の方のブログを参照しました。

草創・開基
(1)建てたのは蘇我馬子。
用明2年5月、蘇我馬子は政敵・物部守屋を倒した。この戦いの結果、
蘇我馬子はほぼ全権力を手中に収める。それを確固たるものにするために
この飛鳥寺造立を行った。完成には約21年を要した。
・崇峻元年(588年)造営開始、
・推古4年(596年)一応の完成。馬子は息子膳徳を寺司にし僧を居住させる。
(2)飛鳥寺は我が国最初の仏教寺院
飛鳥寺は当時の朝鮮半島の先端技術によって建立された
本格的な伽藍をもった我が国最初の仏教寺院。
●建築技術は古代朝鮮半島の先端技術が導入された
飛鳥寺は蘇我氏と結びつきが強かった渡来人・朝鮮の百済国などから
6人の僧、寺大工、露盤博士、瓦博士、画工などの派遣を受けたと
日本書紀にあり彼らの指導の下に建立されたと考えられている。
仁和3年(887)と建久7年(1196)の火災によって伽藍が焼失し、
室町時代以降は廃寺同然となった。
江戸時代の寛永9年(1632)と文政9年(1826)に、旧金堂の跡に
小寺院が再建され「安居院」と称した。この小寺院が現在に至っている。

・・・というような沿革になっている。
日本最古の建築会社・金剛組は聖徳太子の「四天王寺」建設工事に
際して朝鮮半島から日本に移住してきたとされるので、
ほぼ同時代に建てられた最先端木造建築デザイン・技術とされる。
<578年、四天王寺(現在の大阪府)建立のため聖徳太子によって
百済より招かれた3人の宮大工(金剛、早水、永路)のうちの1人である
金剛重光により創業。江戸時代に至るまで四天王寺お抱えの宮大工となる。
〜Wikipedia 金剛組のページより>
その創建時のデザインが残滓として、いま残っている建築に
活かされているのかどうか、定かではない。
いま残っている寺院建築はまことにこぢんまりとしたたたずまい。
奈良の遷都に際して、寺院としてはそちらに移転して行って
こちらはその抜け殻のような位置付けのようなので、ムリもありません。
しかし、有名な止利仏師作になる「飛鳥大仏」が安置されている。
こういった飛鳥寺創建当時の状況から推移していって、
奈良・東大寺が「大仏開眼会」を行ったのが、天平勝宝4年(752年)。
この間、150-60年の歴史経過があるけれど、
この飛鳥の地を訪れてみると、ヤマト王権としての段階から、
「日本」国号を定めて、アジア世界で独自の「中華」国家をめざした
そういった空気感が、なんとなく感覚される。
行ってみて、ほんとうに小さな地域にこぢんまりと端座しているので、
この間の「国家創始」の動きの急拡大ぶりに驚かされます。
古代においても日本は経済成長国家だったという説がありますが、
そんな印象が強く感じられました。

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