ynakaのブログ

自己啓発ため、読書・映画・行動記録を中心に「思い」を書いていきます

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

昨日、市ケ谷の防衛省見学ツアーに参加してきました。
午前と午後で見学コースの内容は違いますが、私が参加した午後のコースは次のような流れでした。
儀仗広場→市ケ谷記念館→隊舎→厚生棟・広報展示室→東儀仗広場
その主な内容を紹介します。

儀仗広場

イメージ 1
 
国賓などの来訪の際に儀仗が行われる広場です。儀仗隊には陸上自衛隊の302保安警務中隊があたることが多いのはご存知の方も多いはずです。
ちなみにこの儀仗広場から市ケ谷記念館へ移動する際にはさすがに軍事施設だけあって建物にカメラを向けないように注意されました。

市ケ谷記念館

東京裁判や三島事件などの歴史の舞台になってきた市ケ谷台の歴史のあゆみが展示されています。
イメージ 2

市ケ谷台の歴史

明暦2年(1656年)、徳川御三家の一つである尾張徳川水第2代光友公が、第4代将軍家綱公より5万坪を拝領し、市ケ谷台に上屋敷を築いた。
 明治維新後、尾張徳川家から返上され、明治7年(1874年)、京都兵学寮が市ケ谷合に移転された。
 昭和12年(1937年)6月、陸軍士官学校本部として1号館が建設され、同年8月、士盲学校本科が座間(神奈川県)へ、また、昭和16年(1941
年)に予科士官学校が朝霞(埼玉県)へそれぞれ移り、代わって大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部が市ケ谷台に置かれた。
 昭和20年(1945年)8月、米軍に接収され、翌年5月極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使用された。
 その後は、米極東軍事司令部等として使用され、昭和34年(1959年)に返還された後、昭和35年(1960年)から
は陸上自衛隊東部方面総監部及び陸上・海上・航空自衛隊幹部学校等として使用されてきた。
 平成12年5月、防衛庁が檜町(六本木地区)から移転した。
(パンフレットから引用)

東京裁判

陸軍士官学校から陸軍省へとその役割が変わった市谷ですが、敗戦後は極東国際軍事裁判の法廷として利用されました。
イメージ 3
上の写真は館内の様子ですが、ちょうどステージのあたりに極東国際軍事裁判の際には通訳席と連合国側の来賓席が設けれらました。
たしかこの裁判で通訳を務めた日系2世の米軍将校をモデルにした小説が山崎豊子の「二つの祖国」です。
「山河燃ゆ」というタイトルでNHK大河ドラマにもなったのでご存知の方も多いはずです。

三島事件

市ケ谷台は昭和34年に米軍から返還され昭和35年から陸上自衛隊東部方面総監部として利用されていました。
1970年11月25日 作家 三島由紀夫がこの地で東部方面総監を人質にとり篭城し自衛官に決起を促すという三島事件の舞台にもなりました。
イメージ 4
市ケ谷記念館2階東部方面総監室の窓から玄関上のテラスを望む。このテラスは三島由紀夫が自衛官に決起を促す演説をした場所。事件で介錯人をした森田必勝も同じ風景をあの日眺めたのだろうか?
 
(内容が盛りだくさんなので次回に続く)

全1ページ

[1]


.

ブログバナー

res*ue_*n4*ra
res*ue_*n4*ra
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

検索 検索

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事