ynakaのブログ

自己啓発ため、読書・映画・行動記録を中心に「思い」を書いていきます

船の名前〜歴史につながる物語〜

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日本は海洋国家といわれあらゆる歴史の舞台で船が登場します。
しかし、その活躍の後にその船が意外な運命を歩んでいることがあります。
そんな船たちとの出会いと知識をお送りします。
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第五福竜丸

船の概要

総トン数:140.86トン
全長:28.56m
幅:5.9m
馬力:250
速力:5ノット

船の歴史

1954(昭和29)年3月1日にマーシャル諸島で操業中にビキニ環礁で行われた水爆実験で船員23名が被曝し無線長だった久保山愛吉さんが半年後の9月23日に「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言を残しなくなられたことで有名な船です。
それ以前の歴史にはこういう経緯があります。
1947(昭和22)年和歌山県東牟婁郡古座町(現串本町)でカツオ漁船第七事代丸(だいななことしろまる)として進水、その後、静岡県焼津市でマグロ漁船として改造され第五福竜丸となりました。
そして1954年3月1日にマーシャル諸島で被曝し、9月14日に焼津港に帰港しました。
イメージ 1

その後の歴史

帰港後

無事に母港の焼津に帰港したにも関わらず鉄条網が張られた状態で係留され検査が実施されていました。
また捕獲したマグロは築地市場内で土に埋められたとされています。
そして当時の文部省はこの船を買い上げ東京水産大学(現:東京海洋大学)の品川岸壁に係留し、検査と放射能除去を行った後に改造され東京水産大学のはやぶさ丸となり千葉県館山市を母港に活躍します。
しかし1967(昭和42)年に老朽化により廃船となり使用可能な部品を除いて東京都江東区夢の島の隣の第十五号埋立地に打ち捨てられました。当時の夢の島の状況を考えると完全に「廃棄物」扱いであったことは間違いないと思われます。

その後

廃棄された1967年に東京都職員によって再発見され保存運動が起こり、現在は夢の島公園の保存されています。

意外な歴史


イメージ 2
実は廃船にあたり使用可能な部品が引き抜かれたわけですが、その部品にも一つの歴史がありました。
それはエンジンです。
1967年に廃船になった第五福竜丸のエンジンは第三千代川丸に取り付けられました。しかし翌年の1968(昭和43)年7月に重県熊野灘沖で座礁・沈没し、海中に没しました。そしてそれから28年を経た1996(平成8)年12月に海中から引き上げれらて、上の写真のように福竜丸展示館脇に展示されています。

個人的な雑感

水爆実験により経験した悲劇、そして唯一核兵器による被害を経験したわが国にとって後世に引き継ぎたい遺産であることは間違いないです。
しかし、今、福竜丸展示館に展示されている同船を見ると全てが木で造られている技術力の高さを感じずにはいられません。そして悲劇の歴史もありつつその後も船としての使命を全うしたこの船の力強さには敬服します。

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