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			<title>作家の部屋「ダルタニウスの苦悩」</title>
			<description>神は横に線を引き、人はそこに点を打った。
= タイトル =
[[img(http://hompyr.jocoso.jp/nfs/hp/profile/115/11/0/11115/prof/11115C9i9zp.jpgリンクURL)]]</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retinitis2000</link>
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			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>作家の部屋「ダルタニウスの苦悩」</title>
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= タイトル =
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			<title>修善寺温泉湯回廊菊屋に泊まる</title>
			<description>&lt;div&gt;　今回、2度目の宿泊だった。自分へのご褒美がやっと実現。しかも、前回とは違い私にしては豪華にも2泊3日。１泊だと慌ただしく、たちまち翌日出発だが、今回は中1日余裕があり、館内の様子も落ち着いて見ることができた。料理は2泊とも朝夕ともに変わり、自分には贅沢すぎると思えるほどの豪華なメニューに舌鼓。客の1組ごとに仲居さんが担当につき歓談しながら、ほどよい量でこれでもかと絶品料理が運ばれる。前回実現できなかった個室貸し切り露天風呂も午後一番に、緑まばゆい日差しの中で気兼ねなく堪能できた。たっぷりと命の洗濯ができた。 &lt;br&gt;
　３連休で積翠堂菊屋は超満員。女将は満員のお客様のご接待やらで、甲斐甲斐しく館内を走り回っておられ、実にお忙しそうだ。ベテラン仲居の佐今さん、初々しい神さん、ドリンクコンテストで入賞作品を創作した長沼さん、帳場の力持ち重山さん、いつも笑顔に癒やされる沖縄出身の石川さん、お土産売り場のスタッフさんと、お一人お一人と歓談できた。 &lt;br&gt;
　その女将から、ある冊子を見せていただいた。開いてみると菊屋旅館十四代当主野田準治郎氏に嫁がれた先代女将野田葉子さんが、写真入りでまとめられた回顧録であった。折角なので、掻い摘んでご紹介してみる。 &lt;br&gt;
　 &lt;br&gt;
　明治時代、菊屋は有名な湯治場として、近くに山林を所有、菊屋山荘という広大な宴会場、鹿も飼われていた弓道場、桂川に水力発電所建設、嵐山に東屋、さらに修禅寺ハリストス正教会聖堂の建設など、数々の伝説を修禅寺に残されて来たという。 また皇室との関わりも深く、有栖川宮様が江戸城明け渡しの際、宿泊。明治末期に先の昭和天皇、秩父宮、高松宮の御三方が皇孫殿下の頃にご宿泊。また、大正天皇、明治天皇の皇后様、常陸宮様など数多くの皇族もご宿泊されている。 &lt;br&gt;
　学習院院長の乃木閣下、桂太郎氏、元広島藩主浅野侯爵、政治家副島種臣氏（積翠堂菊屋の名付親）、「修禅寺の大患」で有名となった夏目漱石氏、執筆家吉田弦二郎氏もご宿泊されている。また、将棋の「大山・松田」名人戦も昭和３０年に開催。大山名人が勝利されたという。 &lt;br&gt;
　&lt;br&gt;
　夏目漱石氏は明治３０年８月６日夜、菊屋着。到着後３日目には床につき、２４日夜８時に４回目の吐血、脳貧血から一時人事不省、危篤状態に陥る。翌日、医師の往診で回復、９月の朝には氷嚢も外され、１０月１１日に帰宅となり、朝にはご主人の脩治さんが快気祝いにお頭付きの甘鯛をお出ししたそうだ。漱石は滞在中の９月２９日に次の漢詩を詠まれている。 &lt;br&gt;
　「仰臥　人唖の如く　黙然大空を看る　大空雲動かず　終日　杳かに相同じ」 &lt;br&gt;
＊これは石碑となり、除幕式は昭和８年４月１０日修禅寺公園にて行なわれている。 &lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　今年は母の死が正月元日。命日が元日だけに、来年は母を偲んで厄払いを菊屋で過ごし、おいしいお節料理をいただければ、きっと良い年が迎えられるに違いない。菊屋のスタッフのみなさん、お持てなしをありがとうございました。今後とも、末永くよろしくお願いいたします。　　　　　　　　　　　　&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retinitis2000/52157680.html</link>
			<pubDate>Thu, 29 Sep 2011 23:24:57 +0900</pubDate>
			<category>秋</category>
		</item>
		<item>
			<title>少女時代</title>
			<description>&lt;br&gt;
&lt;a href=&quot;http://www.youtube.com/watch?v=VcvCBTulPh0&amp;amp;feature=share&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;[HD] 少女時代 - Genie Japanese (Dance Ver.) MV&lt;/a&gt;&lt;br&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retinitis2000/51451094.html</link>
			<pubDate>Thu, 10 Feb 2011 12:02:41 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>死の研究　第二章</title>
			<description>　子供の死の理解について、マリア・ネギーの研究では、第一段階・・５歳くらいまでの就学前の子供は死が最終のものであるとは認めない。死は生が減少したものととらえている。第二段階・・５～９歳。この段階は死を主に男性に擬人化する。死が確実にやって来ることに対しては不確かである。第三段階・・９～１０歳以上。死は生の最後であり避けられず普遍的であることを分かっている。&lt;br /&gt;
　精神医学者エリザベス・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」の研究では、死にゆく過程の五段階としてまとめられている。&lt;br /&gt;
第一段階・・＜否認＞まさか自分がもう死ぬとは信じられない。嘘だ、藪医者だと思う。第二段階・・＜怒り＞自分は品行方正に生きてきた。どうして自分はガンにならなければ　　　　　　ならない。&lt;br /&gt;
第三段階・・＜取引＞今日をもって好きな酒を止めます。神様、ガンを直してください。&lt;br /&gt;
第四段階・・＜抑鬱＞もう、疲れた。何も考えたくない。誰とも話したくない。&lt;br /&gt;
第五段階・・＜受容＞人間は誰でもいつかは死ぬ。靜に運命を受け入れよう。&lt;br /&gt;
この死の受け入れまでの五段階プロセスは有名になっている。さらに、彼女は「死後の真実」の中で、次の「死の三段階」を上げている。&lt;br /&gt;
第一段階・・人の肉体の死はチョウ（肉体）がマユ（魂）から出て行くようなもの。&lt;br /&gt;
第二段階・・臨死体験の状態。精神的エネルギーで幽体離脱し、自分の体から去った場所で何が起こっているかを知覚する。新しい感覚を身につけ、この魂は時空間のないところに存在している。現実界で強く印象に残っている場面をすべて通過し、光に包まれた最終地点にたどり着く。　&lt;br /&gt;
第三段階・・生前は、いつ何を思っていたのかこと細かにわかり、今までの言動をすべて思い出す新たな認識力を持つ。完全で無条件な愛の世界であり、神と一つになる。&lt;br /&gt;
　１８の博士号を持ち、世界で最も末期患者の援助に心血を注いだ研究者が、自身最後にたどり着いた研究は、ここであった。彼女はすべての命に対する完全な愛と畏敬の念に包まれ、それが宇宙に広がっていことを感じたという。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retinitis2000/45101521.html</link>
			<pubDate>Fri, 17 Oct 2008 16:13:57 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>行政責任と情報公開</title>
			<description>行政責任と情報公開&lt;br /&gt;
 国民保護法が国にはあるように、地方自治体にも自治体住民保護条例があってしかるべきではないか。&lt;br /&gt;
行政の失敗のすべては、税の負担として住民に戻されてしまい、行政の管理者、執行担当者、議員などの責任は一切問われない。夕張市の財政破綻が良い例で、この教訓から住民が行政施策、議会での決定内容、等の情報を共有し、もの申すことのできる卯を作る必要と、責任の所在を明確にする必要がある。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retinitis2000/44545325.html</link>
			<pubDate>Sat, 13 Sep 2008 10:05:23 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>福田首相　電撃辞任　　　</title>
			<description>福田首相　投げ出し辞任&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またか。呆れた辞任劇が、再び起きた。すでに自民党自体が政治継続を、責任政党としてできなくなっいることを、意味している。瓦解していく自民党政権と、すでに破綻している政治制度。行き着くところに来ている政治体制の、断末魔の状況が起きているのが、まだ諦めきれずに、続けている。国民は、もっと理解すべきではないか。こんな状態で、また自民党が麻生総理にしていくなどとメディアが吹聴しているが、これも呆れたことだ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retinitis2000/44358393.html</link>
			<pubDate>Mon, 01 Sep 2008 23:11:43 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>＜非知＞と＜大衆の原像＞</title>
			<description>今、なぜ吉本か？という問いを投げかけるとすれば、彼がものごとの原点を解析し、゛く、独自の視点でそれらを普遍的に言い直して展開して見せたところにある。それらの思想は私たちの考えを次へと進めていく上での大きな手かが狩りとして利用するに値する。そう思われることが宝庫のように眠っているからだ。&lt;br /&gt;
　＜大衆の原像＞を捉えていく内に、私が上げた＜非知＞とその二つがつながることが分かり、心密かに興奮している。マルクスの労働価値説を突き詰めると全対象は人間により価値化されてしまう。論理的な探求は息苦しい閉塞感を感じる。これは、＜知識＞が閉じられてしまう運命にあること。世界性まで獲得する跳躍の可能性があっても、それは知識の自然過程で、それ以上は閉じていく閉塞感を持ち、やがて＜党派＞を生みセクト主義へと陥るのが学派の末路だ。そこで、それを防ぐには＜非知＞なるもの、つまり無価値なものを繰り込むことで、絶えず＜知＞を開くことが＜党派性＞を回避するための唯一の方法だ。そこで＜非知＞つまり＜知＞ではないものに価値の根源を置くこと、＜知識＞を繰り込めるようにすることが、人類の全思考史の転倒へとつながると判断した。そして、＜大衆の原像＞が、吉本が設定した、まさに＜非知＞であった。一人の人間が、生まれやがて結婚し、子供を産み、老いてて死ぬ。この人の身体の生理的自然過程にそって、人の考えも動いて行くという生き方が一番普遍的な、価値のある生き方であると、吉本の世界思想は行き着いたのだ。大きな思考のドラマを見ているような気がする。&lt;br /&gt;
　大衆を否定したり、大衆を利用し大衆を犠牲にし権力を振るう官僚や権力者の構造を、どうしたら解体できるか。彼は生涯をかけて、このテーマと立ち向かってきた。&lt;br /&gt;
　アジア的な様式は、時間軸としてのアフリカ的段階からアジア的段階へといたり、やがて西欧的近代的な段階へと移る。その時間的な自然過程で、さらに高度資本主義的段階へといたるのも必然だと断定する。現代の民族国家の経済構造的な下部構造は、第一次産業である農業・漁業・林業といった生産部門と第二次産業である製造部門の上に成り立ってきている近代国家といえる。現在の日本の国家形態も、地方自治の形態も民主主義の基層には日本的な政治構造とともに、この民族国家の三権分立と議会制民主主義が官僚制度とともに成り立つ国家といえる。&lt;br /&gt;
　ところが、産業経済構造は１９６０年から８０年の間に飛躍的に変化し、サービス業主体の第三次産業、さらには情報産業である第四次産業へと返還してきている。この多様化した産業構造の変化に対して、国家形態は古い構造のままに変更されずにあるために、多くの矛盾や破綻が生じてきているというわけだ。世界のすべての先進国もこの変化のイメージに追いついていけていない。その新たな動きの端緒は欧州共同体で、無意識の最先端は既存の国家の枠から新たな枠組みの構築を、どこまでやるかが一つの動きの目安となる。&lt;br /&gt;
  すでに世界経済は一国ではコントロールできなくなっている。すでに、先進国は経済、政治、環境など主要なすべての問題で一国主義が破綻していることを示している。欧州共同体以上の世界性が、緊急に健闘されるべきなのは人類存続の命運ともいえるのではないか。&lt;br /&gt;
　これを意識的に制度解体し直すために、吉本は３つのことを加えれば脱出の可能性があるという。そのヒントを利用してみた。&lt;br /&gt;
　その第一は、国家が軍隊を持たない。つまり、国家機構から自衛隊や国軍といえる組織を切り離す。その組織を地方政府に移譲し、地域が管理する。基礎自治体の住民の承認なくして地方政府軍は行動し得ない。たとえば、それが道州制だとして地方自治体が自治体軍を保持し、派遣等は議会の議決や民意により２／３以上の賛成で行動するという条令を設ける。こうすることで、一部の権力者の一方的な戦争を抑止できる。&lt;br /&gt;
　第二は、共同体管理として、あくまで公共性が高く、民営化すべきではないもののみを公有化、公営化する。それ以外はすべて民営化する。官僚制機構を解体し、公務員制度改革を図る。&lt;br /&gt;
　第三は、中央政府、地方政府の首長の選任および罷免権は住民が有し、政府及び自治体の解散権は２／３の合意により、首長とともに住民がその任免権（リコール権）を有する。首長は任期制とし、徹底した情報公開を推進する。　　　&lt;br /&gt;
  これら三項目は、吉本の理論の応用で出てくる結論である。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retinitis2000/43784234.html</link>
			<pubDate>Mon, 28 Jul 2008 12:25:17 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>我が家のペットの死</title>
			<description>７／１７２２．２６　１１年付き合っていた我が家の猫　ちびが　息を引き取った。重い腎臓病を最後は患い、食べれば体に尿毒素が出てしまう苦しいつらい最後だった。庭先に５，６匹野良猫が産んだ子猫の一匹を、私が拾い上げて目の見えないチビを、ミルクを与えて育てた。手塩に掛け、外にも出さず家猫として大事に育てていたので、きっと本人は人間だと思っていたに違いない。&lt;br /&gt;
いつも、二人で会話し、仕事のない時、家でちびに、癒されっぱなしだった。いつも、二人でくっさいて、といってもいやがるちびを無理矢理抱いて、かまっていた。その日はもう仕事に行く前から息絶え絶えだったから、帰宅する頃には一人で死んでしまっているに違いないと思っていた。でも、夜９時すぎに変えると、玄関先にぐったりと横になり、えっ死んでいるのかと思ったが、ピクのと足が動いたので、「ちび、ただいまー」と大きな声で繰り返し話しかけた。普段行かない冷たい玄関先で寝てしまうので、カーぺっーとに戻し、てでさすり、手を握り、暖めて射すってあげると、顔を何度も持ち上げて反応してくれた。やがて、何とか起き上がろうとして、また、倒れた。さして、私が見つめる前で静かに行きを引き取った。「ちび、ちゃんと最期を見届けてあげたよ」なんか、止めどなく涙が溢れる。「ちび」と声を掛け、揺すったが息はなかった。いつも横になっている座布団に遺体をのせ、線香と好きな缶詰、水をあげて、二人でお通夜。ちびと語り明かした。さようなら、ちび。いままでありがとう。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retinitis2000/43610832.html</link>
			<pubDate>Fri, 18 Jul 2008 06:47:31 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>戦闘的民主主義と大衆世界同盟</title>
			<description>戦闘的民主主義と大衆世界同盟&lt;br /&gt;
　民主主義も戦後日本の政治制度として、真に定着しえたかどうかというと、最近の政治を見ても疑わしい。自民党一党独裁と官僚制との一体化が、議会制民主主義の名の下に腐敗と国民乖離の中央集権政治を行ってきた。 しかし、この民主主義の導入と運用は大きく曲がり、民意を反映しがたい、生活者・庶民を足蹴にする発想の理念や赤字を生み出し、それでも自民党議員から国民は馬鹿にされている。大衆をないがしろの民主主義を改め、しかも世界性のある制度けっけいをし、大衆が納得いく政治を奪回する必要があると考える。それには社会民主主義でも、改革民主主義などでもない。みな使い古された妥協の産物で、真に根本的な解決とはいえない思想ばかりだ。&lt;br /&gt;
　そこで、私たちは「戦闘的民主主義」として真に生活者である大衆を主役の政治制度に作り直し事を提案する。なぜ、国民といわないかというと、国民は国家がある、その一員という既成関係が取れていない。既存の国家的発想では、私たちの希望が達成できるとは思わないし、国家はあえてなくても大衆は生きていけるのであるから、各国に同じ生活者として存在する世界民と連帯するために、「大衆世界同盟」なる発想で生活者の連帯を世界レベルで手をつなぐことでくらし、諸問題を解決していきたいと考えている。&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retinitis2000/42938662.html</link>
			<pubDate>Wed, 11 Jun 2008 14:43:02 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>新しい議員像の根拠</title>
			<description>中央集権的官僚制度を解体するには、分権改革と同時に、行政主導から大衆主導の協働という改革の柱で推進する。と同時に新しい議員像は、この行政主導を改革するため、行政プランナーとして、いままで官僚たちが一手に担っていた官僚主導の機構そのものを解体するための、大いなる役割を担うべきであると考える。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retinitis2000/42925546.html</link>
			<pubDate>Tue, 10 Jun 2008 22:44:34 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>大衆の原像とは・・吉本思想の核心</title>
			<description>丸山真男論のなかで、終戦直後の大衆の様子を「大衆は、それ自体として生きている。天皇制によってでもなく、理念によってでもなく、それ自体として生きている。それから出発しない大衆のイメージは、すべて仮構のイメージとなる。」と指摘。大衆の日本的存在様式の変遷として設定しないと、大衆自体を変形させてしまう。例えば民主主義では大衆は国民国家の国民として法に従い民主主義思想の用語と確立に努めなければならないテーマを持たされる。社会主義国家では、プロレタリアートの国民として社会主義建設に寄与しなければ成らず、民族国家であれば民族の一員としての義務と責任を負うといったように、「大衆の原像」はさまざまな思想や共同体の幻想によって、仮構のイメージを負わされてしまうことになる。あるがままの大衆は、歪められてしまうことになる。&lt;br /&gt;
　思想における真の課題は、日本型知識人の眼鏡を通して見られた、さまざまな体制や、階級や大衆の問題などは、それ自体が歪められた擬制の幻想である。大衆の存在様式を支配の様式が決定するのではなく、それらの共同幻想を排除することで、初めて大衆の真の姿を見いだしていくことが、思想的な課題であり、知識人は絶えず「大衆の原像」を繰り込むことで思想を検証し、新しい思想を構築すべきだと示唆する。&lt;br /&gt;
　日本の知識人、学者とは、たゆみない実証的な検索のはてに、事物のイメージがおのずから沸き上がってくるのを待ちきれずに、文献の中に小さく挫折するか、あるいは素人にも容易く手に入る知識をかき集めて、一角の学者づらしているジャーナリストになりがちだと批判する。彼はその批判をできうるだけの思想を、単なる模倣ではなく日本の思想史に大きく構築して見せている。&lt;br /&gt;
  思想の根源をどこに置くか。大衆の「無為」な生活と矛盾さえしなければ大衆それ自体はラジカリズムを決して回避するものではない。戦争に行くことを国家から強制され、あるいはその国民としての責務を化されたとしても、仮構のイメージとしての共同幻想の国家を拒否し、戦争をも回避する「大衆の原像」を思想の原点として行くべきだというのが、彼の大きな思想の核となっている。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retinitis2000/42644794.html</link>
			<pubDate>Wed, 28 May 2008 17:30:49 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
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