リタイアライフ満喫中

リタイアライフは、毎日が黄金の時間。その満喫感をありのままに綴ってみます。

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こんな人が…

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きのう、録画していた「見えず、聞こえずとも」というテレビ番組を観た。目や耳の不自由な女性と結婚して、触手話によってその女性とのコミュニケーションに努め、格別の身構えや悲壮感もなく日々穏やかに二人の暮らしを続けている人のドキュメンタリー番組だ。

若い頃からトルストイや宮沢賢治の思想に惹かれ、人のために生きる実践活動にも参加してきた人のようである。奥さんへの献身がごく自然で、心からのものであるのが番組を通して感じられた。

同じように人のために生きる実践者に、今年はスーパーボランティアとして各メディアで報じられた尾畠春夫さんという人にも出会うことができた。この人の、何とも自然な、心からなる笑顔は観ていて毎回感動的だった。

一方、幾人もの女性を自宅におびき出し、欲望の餌食にした上殺害するという人もいたし、思いどおりにならぬわが子を「躾け」と称して死に至らしめた親もいた。こうした人もまた、上記と同じ「人間」という範疇にくくられている。

私たちは、多くの場合、「人間というのは…」とか「男というのは…」とか、物ごとを十把一絡げに捉えて判断を下しがちだ。そうではなく、一人ひとりの生き方をその見てくれや既成概念に捉われることなく、そのあるがままに見ていくことの大切さを改めて考えさせられている年の暮れである。

神社の総代に

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この4月から神社の総代を務めることになった。残り少なくなっている時間のなかで、できれば避けたいと思っていた世話役だったのだが…

実は檀那寺の総代にも何度も足を運ばれて頼まれていたのだが、何とかこれは逃れることができた。けれども神社の方は私より年長者がいろいろ理由をつけて拒否するものだから、間に立つ人が困り果てているのを見かね、やむなく引き受けることにしたのである。

こうした寺や神社の世話役はたいてい引き受け手がなくて困っているのは、そこでの行事が単に形だけの慣例に過ぎなくなっているからなのだと思っている。これを改革するには、僧侶や神官が大きな問題意識を抱いてチャレンジすることが必要なのだが、それは思っても詮ないことが明らかだ。

かくして、この3年間多くの時間をこの任務に費やさなければならなくなったのだが、ここ数日新年度の総会準備に当たってきて、これが思っていた以上に大変な役であるのに少し気分が塞いできてもいる。

ことに会計関係の書類作成にはエクセルの活用が欠かせず、在職中わずかに経験した操作法もすっかり忘れていて、目下ゼロからの勉強を始めているところだ。今回の総会資料は大半を前任者が作ってくれていたから何とか凌げるものの、はたしてこの一年間の勉強で、来年度の総会を無事に迎えることができるものかどうか、日に日に心配が募っている。

二人の著書に

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去年の11月から、井上洋治と神谷美恵子という二人の著者の本を熱心に読んでいる。前者はカソリックの神父さん、後者は精神科医にして大学の先生である。

分野は大きく異なっているが、両者に共通しているのが文学、哲学、宗教などその広範囲に及ぶ読書である。そしてその読書の仕方というのが学者のように研究的にではなく、一人の人間として、あくまで自分の生き方をかけて各著書に向き合い、挑んでいることだ。

それゆえ、それぞれご自分の文章を持たれていて、その文章自体が読者を最後の行まで引っ張っていく力を備えている。つまりは、読みやすいということだ。

そしてお二人とも、周囲のどんな人に対しても、実に誠実に、思いやりをもって接しいるのである。そしてそんな生き方を生涯貫いておられるのである。

こんな著書を読んでいると、単なる知識が得られるだけの読書では物足りなくなる。著者が自分の生き方を模索しながら書き上げた、その体験をあるがままに書き上げた二人の未読の著書をここ当分の間読みつづけたいと思っている。

人生の無常

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今朝早々、同じ自治会の同年生まれのkさんの訃報が入った。つい先日私宅前でお互いの健康や最近の世相の変化についていろいろ話し合ったところだったのに…

この4月には、小学校の同窓生のO君が亡くなった。やはりその何ヵ月か前までメールで互いの近況や連絡事項を送信し合っていた。

二人とも、今年のうちに人生の最期を迎えることになろうとは夢にも思っていなかったに違いない。kさんやO君のみならず、人は自らの目前の最大事をも知ることができないということなのだろう。

仏教では、人が徹底して無知であるという事実を無明と呼んでいる。私もまたこの無明ゆえに自らの死期を知らずに日々を過ごしているということなのだろう。

多くの高僧が仏道に入った動機に人生の無常を挙げているが、それゆえにまたその後の禅定や修行によって揺るぎのない安楽境に達することもできたのだろう。二人の突然の死に遭い、改めて人生の無常を忘れることのないようにと自省しているところである。

秋も終わりに…

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11月に入ると、今年も終わりに近づいたことを日々実感するようになる。年をとるにつれ、その感慨も一層深くなる。

それは淋しくもあり怖ろしくもあるが、世界のすべての宗教がそこに源を有しているのではないだろうか。そしてできうることなら、人は各自の信じる宗教を通して、その淋しさや怖ろしさを脱し、心に平安を求めつづけてきたのではないだろうか。

それには、やがて終りへと向かう人生を、それにもかかわらずよしとして肯定する、不動で壮大な人生観が必要だ。私もまたささやかながら、今日までその探求の努力を続けてきた。

これが容易なことではないがゆえに、多くの人は日々の世事や娯楽の方へ目を向け、その至難から目を背けがちになるのではないかと思う。鈴木正三という一武士にして禅者が「人は皆大事を忘れ、戯言ばかりをつきて一生を空しく過ごすものなり」と見抜いたように…

いまだに私は人生を大肯定する心境からは程遠いところにいるが、もしそんな境地があるとしたなら、それはこの淋しさ怖ろしさからすっかり離れてしまったところにはないようにも思う。年末に向けて、そんなことも考えてみた。

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