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リタイアライフは、毎日が黄金の時間。その満喫感をありのままに綴ってみます。

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うれしいことが…

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きょう、少しうれしいことがあった。昔地域の百姓一揆に取材して描いた私の脚本が地元の小学校6年生たちによって演じられたからだ。

最初学校からこの話をいただいたとき、自分の脚本は大人向きに書いたもので、上演時間も2時間を要するので、一揆関係の資料はお送りするので先生方によって子供向きのものをつくってほしいと答えておいた。それが子供たちが拙作に取り組んでいるというのを今月になって聞いていた。

その上演の案内をいただいて午後から観にいった。むろん担任の先生によって短く縮められてはいるが、村人を救わんがための一揆の首謀者たちの思いはメインにされている。

百姓たちの願いは一旦聞き届けられるが、その直後に幕府から出された強訴禁止令によって一揆の首謀者が打ち首、獄門に処せられるのを知ると、百姓たちは一斉に掌を返して彼らを裏切ることになる。その裏切りをも許して刑場におもむく首謀者たち、その許しを後になって気づく村人たちの心情がこの劇のテーマだった。

それをどこまで理解してくれたのかは分からないが、懸命に演じる子供たちを観ていると、その一部なりともを受けとめてくれているのが伝わってくる。一揆後266年を経た今の子供たちにも、義民たちの心情が無縁でなかったことを知らされ、いま思いがけないうれしさの余韻にひたっている。

うれしい記事が!

先日「映画の旅人」という新聞のシリーズに、うれしい記事が載っていた。昨年世界の映画監督358人が選ぶベスト映画の1位に、小津安二郎の『東京物語』が選ばれていたというのだ。

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2位が『2001年宇宙の旅』、3位が『市民ケーン』というから、これはもう手放しで喜びたくなる。批評家の評においても、3位であったとか…

私の映画観賞はもっぱらビデオかテレビによっているが、それでも「名画」と評された作品はできるだけ観るようにしてきた。いまそれらの作品で「最も心に残っているのは…」と自問してみると、『東京物語』と答えるしかないのに気がついた。

黒沢作品のように華麗でダイナミックな迫力はないにしても、その淡彩画のような、一見地味で単調な映像はしかし、戦後の高度成長期までの日本人の暮らしと心情をこれ以上は望めない程に深く、的確にとらえている。キゃスティングも完璧で、それぞれの登場人物たちの性格と個性を各俳優たちが実にみごとに演じ切っている。

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なかでも、杉村春子の意地悪な長女役は絶品だ。次男の嫁でありながら実の娘以上に義父母に尽くす原節子には、彼女自身の天性から滲み出るものを感じるが、杉村の、その目線・指先の動きから科白の一いちにいたるまでには、もう、神技としかいえないような…

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永遠に清純女優で!

先日の新聞に、「わたしが愛した日活映画」のランキングが出ていた。日活映画といえば、東映の時代劇に代わって日本映画界を席巻した、数々の青春映画が思い浮かぶ。

1位は「キューポラのある街」で、2位・3位が「ビルマの竪琴」「青い山脈」、以下「戦争と人間」「愛と死をみつめて」「伊豆の踊子」…と続いている。なかでも「キューポラのある街」は私もこの映画のつくられた1962年に映画館で観ていて、その時の印象が懐かしくて後にレンタルビデオでも再度観た。

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1962年といえば、わが国の経済が高度成長の坂道を昇りはじめた頃だが、まだまだ貧しさの残る時代でもあった。そんな貧しく暗い、キューポラ(溶鉱炉)の煤煙の立ち昇る空の下、明るく清純に生きるヒロイン役を吉永小百合が自らの姿・生き方そのままに演じていた。

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以来彼女は数多くの作品に主演して、今では押しも押されぬ大女優の評を得ているが、この「キューポラのある街」をもって彼女の代表作とする人もいる。たとえ演技のためとはいえ裸になることを峻拒したのがその理由であると評する人もいるが、彼女は実人生でもあくまで清純に生きることを貫きとおしたのだ。

確かに私も彼女のその後の作品をかなり観てきているが、いつまでも心に残りつづける作品は他にはない。後世にはあるいは大女優との評は消えるかもしれないが、彼女にはやはり「キューポラのある街」の、あの清純な女優のままでいてほしい気もする。
先日、NHKの「未解決事件・オーム真理教」が3回シリーズで放映された。なぜオームは暴走したのかをドキュメンタリーと実録ドラマとで、事件から17年を経て追っかけた番組だ。

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その録画をきのう観て、私なりに考えてみたのが、やはり麻原彰晃というきわめて特異な人物の存在だ。彼のルサンチマンや妄想がまずその暴走の中心にあったのではないかということを…

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その麻原なる人物に、なぜ超一流大学卒のエリートたちが次々に追従していくことになったのか…それこそがこの事件の最大の謎とされてきたが、私には必ずしも疑問には思えない。受験競争の颯爽たる勝ち組の彼らにも、そこでは学ぶことのなかった倫理的世界においては、大きな空白ないしは脆弱性を抱えていたにちがいないからだ。

麻原の到達していた宗教世界を吉本隆明や中沢新一のような人までが高く評価していたとされるが、私には彼の修業がそれほどの深さに達していたとは思えない。それでもその指示にひたすら従っていったのは、そこにこのエリートと称される人たちの倫理的基盤の脆弱性を見るべきではないだろうか。

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オウム真理教が暴走に向かっていったのは、戦後の経済至上主義への疑問視や倫理的基盤への希求が若者たちの間に急速に広がっていたころではないか。この若者たちの精神世界は今も変わっていないとすれば、この事件はけっして過去のものにすることはできないのではないかとの思いが、テレビを観た後も残りつづけている。
録画機のHDに空きがなくなりかけたので、昨夜NHK・BSの「百年インタビュー」を観た。今回は、つい先ごろ日本国籍を取得した話題になったドナルド・キ―ン氏だ。

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キ―ン氏をテレビで見るのは初めてではなく、正直いってその日本語の会話はあまり上手ではないと思っていた。今回90分にわたってその正確な日本語を聞かせてもらって、さすがは日本文学の研究者だと恐れ入った。

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キ―ン氏の日本文学への造詣の深さはかねてよりよく知っていたが、今回日本文化や文学を敬愛することの深さを知って、終始恥じ入らないではいられなかった。氏のその敬愛は、日本文化の根柢にある、単純さ・質素さに惹かれてのことだという。

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外国では、『源氏物語』を読みたい人のために、いまも新たな翻訳が進められているというのに、文法ばかりにこだわって多くの日本人がこの名作を未読でいるのは、なぜなのかとキ―ン氏は不思議がる。現代語訳でもいいから、まずこの作品を手にとって、美しい日本語を知ってほしいと…

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最後に、キ―ン氏は百年後の日本人に向かって、ただ「日本語を守ってほしい」と訴える。将来はこの国でも英語や中国語が使われるようになるかもしれないが、それでも日本人は、一番の宝物として、日本語を守ってほしいと…

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