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新聞の広告欄で見て、さっそく半藤一利氏の『あの戦争と日本人』を買ってきた。次の旅行の際には是非持っていき、ホテルかバスのなかででも読もうと思って… この人の本は、『昭和史』にしても『幕末史』にしても、歴史の専門家とは違って史料オンリーになることなく、自身の体験やそれへの自問自答に重きをおいて自由闊達に幕末以降の歴史を語っているのが特徴だ。先月の上旬に飲み会をした中学校の同級生M君も、最近『昭和史』を読んで、これまで知らずにいた昭和の歴史について随分勉強になったといっていた。 それほど、私たちは先の戦争に至る近代の歴史を学ぶことが少なかったのではないか。その結果、他国から「歴史認識」を問われるたびに、口をつぐみ、さもなければいまだにその認識を不毛に対立させ合っている。 人は社会的存在であると同時に、歴史的存在でもある。ことに戦後の日本人は、他のいかなる時代にも増して、その生き方、ものの考え方の根柢を先の敗戦なる歴史によってつくり上げられていることが多いのではないか。 であるなら、M君のように、学校ではあまりに学ぶことの少なかった昭和史・近代史を遅ればせながら今からでも学んでいくことが必要ではないか。それはこれまで当り前のこととして不問に付してきた自分の生き方や考え方の根柢にあるものを改めて問い直すことにもつながると思う。
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歴史
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安部首相や橋下大阪市長、さらには石原「維新の会」共同代表らによる、いわゆる歴史認識をめぐって内外で論議が続いている。外国では中国・韓国の上に、米国まで加わって… この国では、先の戦争の戦争が侵略であっかどうかについても両極端の見方がある。私もそれらの著書のいくつかを読んでみたが、その間の溝を埋ずめるには暗然とするほどの距離がある。 歴史とは勝利者によって書かれるものであるとは、一国の一地方史から日本史、世界史に至るまで避けられないところなのだろう。それゆえに私たちもまたその多くが戦後いわゆる東京裁判史観なるものを受け容れてきた。 しかしその後独立を果たし、国力を次第に回復するにつれ、これに対する異議を大っぴらにも唱えることができるようになった。しかし、仮に侵略性を全否定するにしても、それが可能な程に現在国力を増大させ得ているだろうか。 とすれば、史実をできるだけ客観的に捉え、他国の人の眼からも納得が得られる歴史認識をつくり上げていくことが求められているのではないか。その場合、私は個人的には、大正末年孫文が最後に来日して行った、「日本の目指すべきは、東洋の王道に基づく大アジア主義である」との忠告が、その後の日本にとっては随分示唆的であったと思っているのだが…
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ここ数日は、年度末ということもあって、毎日何かの会合に出かけている。きのうは、午後から市民の「戦争体験談集発刊記念講演会」へ。 会場のロビーには戦争関係者の遺品の展示や体験談集の販売コーナーも。会場に入ると、係員が後から後から椅子を追加するほど予想外に多くの人が… 講師は「ひめゆり学徒隊」の生存者・新川初子さんと、広島での被爆者であったという漫才師喜味こいしの次女・喜味家たまごさん。お二人とも戦争体験の悲惨さ、平和の大切さ、そして二度と戦争をしてはならないことを訴える。 その平和への切々とした訴えを聞きながら、そのための具体的な方法をも考えてみる。二度と戦争をしてはならないとの決意はもとより重要ようだが、同時に自国の国土、国民、文化を守ることはいずこも国にあっても永久不変の命題だ。 不戦への決意と自国の安全保障…平和を具現するとは、この二つの命題を両立させることではないか。そのためにも、先の戦争を問い、そして平和の実現へ向け、単に言葉だけではない、現実政治のなかでその具体策の議論を重ねていくことが今こそ求められているのではないか…独りそんなことも思ってみたことだった。
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きのうは、午後から市民の「戦争体験談集」の完成報告会へ。各委員の席には、でき上がったばかりの体験談集が置かれている。 それを手にして、いまも胸の底に生きつづけている戦争体験を語ってくれた人たち、そして今後これを手にしてくれるだろう市民の方たちの思いが浮かんでくる。「孫には戦争体験を語ることはあっても、自分たちには一切語ることはなかった。それをいま聴き取って、残しておきたかった」というのが、市長の挨拶だ。 確かに戦後国家の政策や価値観が激変するなか、戦争体験者たちが自らの戦争体験を語ることには躊躇することが多かったのではないか。それを聴き取り、書き残し、そして改めて「あの戦争とはなんであったのか」を問うことは、私たち、そしてこれからの世代の責務ではないかと思う。 近代史を研究してこられた委員長は「190人もの市民の戦争体験を一冊にまとめたのは、他に類書がないと思う」と語っておられた。その各自の戦争体験、そしてそれへの思いは様ざまであるにしても、こうして一冊本にまとめられてみると、「あの戦争は…」と私たち一人ひとりに問わしめてくるものがある。 もし、市民のなかで、このプログを覗いてくれる人がいたら、是非458頁に上る体験談集を購読されるか図書館で借りるかして一読していただきたい(市教委生涯学習課・2千円)。そして遅まきながらも、「あの戦争とは…」「なぜ、あの戦争が…」を問い、討論するきっかけにしていただきたいと切に願う。
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一昨日は、いよいよ発刊間近となった市民の『戦争体験談集』の編集委員会へ。最終原稿の第1校ということで、すべての原稿に目を通す機会になった。 そのなかの一編に、最後の1行が「国民は騙されて勝てない戦争に…」と結ばれているのに眼が留まった。この方はもう80歳代に入っておられるが、戦後66年にわたって、ただひたすら「お国のために戦った」自らの青春時代を、そのように「国に騙されてのもの」としてしか振りかえることができなかったのだろうか。 とするなら、戦後新しく出発した日本とは、はたしてこの方にとって、どのような存在であったのだろうということも考えた。かつての日本ではなく、再び自分たちを「騙す」ことのない、信頼に値する国家でありつづけていたのだろうか。 そうであるには、自分たちを「騙して」敗戦に至った日本、そして戦後の新生日本の歩みを自らの眼でたどり、総括するすることが必要ではないだろうか。それは、この方にとってのみならず、すべての日本人に求められていることでは… 市では、この『体験談集』の発刊を記念に、3月には「ひめゆり学徒隊生存者」の新川初子さんなどを招いて講演会を計画しているという。これを機会に、同じ市民の『体験談集』をひもとく人が増え、そして遅まきながらも、市民一人ひとりが自らの眼であの戦争と戦後の日本を問うことにつながればと願う。 |



