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きのうは朝8時過ぎに、地域の氏神さんへ。そこをスタートに、他の二神社を廻るウオーキングに参加するためだ。 以前から、その三神社を初め、沿線のいくつかの史跡や遺物についての説明役を頼まれていた。去年も引き受けていて、こうして一度引き受けると何度も頼まれることになるのだが、ボランティアだけは積極的に…との気を起こして引き受けた。 私は40歳を過ぎた頃から地域の歴史や民俗に興味を抱くようになり、いろいろと調べていくうち、10年間ほどそれに没頭するようにもなって2冊の本まで出版した。その経験から、一地域の一史実のうちにも、日本史や世界史に通じる普遍的なものがあることを知ることができた。 その普遍性というのは、学者の説くような、書物や頭のなかにだけあるものとは違って、私たちが普段身近に接する具体的な事物・事象のうちに秘められている。それだけに、生きた力をもって日々いろんなことを語り、教えてくれる。 私の話を聞いた70歳位の女性が「この○○に、こんなもんがあるとは知らなかった」と云ってくださった。「奈良や京都、それから外国へまで行かなくても、いいもんがありますね」と私は答えた。
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郷土史
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きのうの午後、九州の某国立大学の教授から突然電話があり、いま県立図書館でリタイアマンさんの著作を読んだところなのだが、これからお伺いしてもよいかという。自分も怨霊伝説を研究していて、著作に掲げている怨霊の出没地やその供養碑を訪ねてみたいとも… |
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きのうは、午後から隣市の○○町公民館へ。これまで私は2冊の郷土史に関する本を書いていて、そのうちの明治初年に起きた血税反対一揆について話をすることを頼まれていたのだ。 実は上記の2冊の本が書けたのは、いずれもこの○○町に貴重な史料が残っていたお蔭であると思っている。一揆はこの町を含む近隣市町一円を巻き込むものであったのに、なぜ、この町に特に多くの史料が残されているのだろう。 それは、この町の人たちがその事件を後世の人にも伝えるべく、その真相を丹念に調べて書き残し、後の人もまたそれを大切に保存することを心がけてきたからではないか。私は車中でそんなことを考えながら、会場に向かった。 一揆の史実を一とおり話し終えると、その車中での思いを訴えることを主眼に置いた。この町には、地域の歴史を記録し、それを大切に保存する人が他市町にも増してたくさんいたということを… 歴史とは、史料に込められた先人たちの声に耳を傾け、その語りかけてくるものとの間で、互いに応答を重ねることではないか。そして現在、さらには将来の自分の考えや生き方をそれにつないでいくことではないか…そんな結びをした私は、これまでとは違ったことを初めて語り得た気がして帰路についた。
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昨夜は、S町での2回目の公民館講座へ。前回は、江戸時代に地元で起きた藩全域にも及ぶ百姓一揆の話をさせてもらったのだったが、史料の解読を中心にしたことから、史実の概略が今一つ分かりにくかったとの感想をいただいた。 そこで、今回は、同じく地元で起きた明治初年の大騒擾事件を話すにあたっては、まず全体の史実のイメージをつかんでいただくことに重点をおいた。いくら地元の大事件とはいえ、今では多くの人から忘れ去られているとあっては、当然に配慮すべきことであるからだ。 この大騒擾事件とは、明治政府が矢継ぎ早に出した新政策に対して、地元の農民たちが不信・反発を抱いて、役所や学校に次つぎ火を放ち、止めに入った警官2人を惨殺し、ついには軍隊の出動をもってようやく鎮圧されるに至ったものだ。今では愚行、暴挙でしかないとされるこの事件を私はできるだけ今日の私たちの政治・社会の課題につないで語ることを第2の重点とした。 一つには、新政策への民衆の不信・反感の背景には、行政側の各政策への説明・情報提供の不足があったという点、そして二つ目には民衆の側にも新政策への情報収集、学習意欲の不足があったことが指摘されなければならないという点… これは、現在の私たちの政治・社会においても、そのまま引き継いでいる問題ではないかということを私はこの夜終始一貫して訴えた。前回に比べこの訴えが出席者の耳に届いているようなのが感じとれ、帰りの私は幾分爽快な気分になれたのだった。
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昨夜は、同じ市内のS町の公民館講座へ。かねて地域の歴史に関する講話を依頼されていたからだ。 話はS町も含めたこの地域一帯に起きた百姓一揆を内容にしていたが、私はそれを単に一揆に関する知識を語るより、そこに生きた人たちの暮らしや思いに重点をおいた。そのために、その人たちが遺した史料を各自の眼で読み解くことに多くの時間をとった。 後で、事務局の方に感想を聞いたら、やはり一揆の概略的な知識を主体にしてくれた方が…ということだった。講話とか講演というのは、語り手と聞く側の双方でつくる作品であることからすれば、昨夜の私はせっかく話を聞きにきてくださった方々の期待を十分に踏まえていなかったことになる。 歴史とはしかし、その時代の人たちがどのようなことを考え、どのように暮らしていたかを史料を通して自ら探り当てることだと思っている。一方聞く側の多くがその結果得られる知識の方に眼を向けているとすれば、その両方の願いに応えなければならず、講話というのはなかなか難しいものだと改めて思う。 その結果、帰りには幾分空しさも残ることとなったが、幸いS町での講話は2回連続ということで依頼されている。次回の2回目では、事務局からの要望に応えながら、合わせて先人たちがこの地でどのように生きたきたかを史料のなかから出席者たちといっしょに探り当てたいと思っている。
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