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先日の新聞に、先の国家公務員の給与削減法の成立によって、地方公務員の平均給与が国家公務員のそれを上回っていることか報じられている。これを読んで、一般の人たちはどう思うのだろうかということを考えた。 国家公務員の仕事というのは、国や社会全体の在りようを先駆的に、クリエイティブに考えることだと思っている。そしてそのための法案や政策、制度等を発案、実行することだと… それゆえ、豊かな先見性やアイデア、高い専門知識を必要とする。一方、地方公務員は国家公務員のそうした発案を踏まえ、自らの地域づくりにそれを適宜アレンジして適用しているのが一般ではないか。 なかには、地域づくりの根底に、国全体の諸課題を見い出し、その解決策を自ら発案している職員もいなくはないだろう。しかしそれはあくまで例外あるいはごく少数であって、仮にそうした逸材がいるとすれば、かつて幕府が各藩の俊英を幕政に抜擢したような人材登用の道もあるのではないか。 報じられているように、平均の給与額となると、むしろ国家公務員の方が地方公務員を上回っているというのが本来の姿ではないだろうか。それが組合の反発を怖れる首長や議会の及び腰でまかりとおっているというのは、国家公務員の先見性や創造性がさほどのものでないか、それともそれを適正に評価していということになり、私にはいつまでも放置してよいこととは思えないのだが…
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地方政治
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きょうの新聞に、片山善博元総務相が図書館の重要性を語っている。氏が鳥取県知事だったとき、「知の地域づくり」を重要施策として位置づけ取り組んできたが、その要としたのが図書館や読書活動の重視であったという。 そのために、氏は県庁内に図書室をつくり、2人の司書をおくことにした。そして図書の購入費には、毎年1億円を充てることも… 片山氏の発言や政策には、その根柢に不動のバックボーンを感じてかねて畏敬してきていた。図書館についても、このような見識を持たれていたのを知って、さすがはとも思うし、うれしくもなってくる。 県庁職員が本を読んで知力を強化し、それを政策の発案に活かすようになれば、1億円の本代など安いものではないか。無駄なハコモノの整備やその維持費に比べれば、はるかに… 県庁職員に限らず、人は本を読むことによってものを考え、論じ合う力を増すことができる。それは、どんな施設をつくるより、その地域や社会を変える大きな底力になるものと思っている。
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「平成の大合併」で各地に新しい市や政令指定都市が誕生している。合併推進策として、市や政令指定都市になる条件が通常より緩和されたという事情もあるようだ。 |
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これまでにも何度か書いてきたが、私たちの地域では、市議会の議長が毎年交替するといったことが慣行となっている。これは県下の他の市議会、町議会、さらには県議会を見ても、ほぼ同様のようだ。 いつか、歴代の議長の写真を掲げた室を見る機会があった。ある年代までは町内でも広く知られた、何らかの地位・業績のある方が何期にもわたって議長を続けていたのが、それ以降になると、その期間が短くなって、ほとんど名前も顔も知らない人ばかりに… これは、長年町の顔役といった人に独占されてきた議長のポストをそうでない議員にも開放したという点では評価されるべきことなのだろう。しかし議長の選出経過を聞いてみると、ただ議長になりたいだけ人の間での、単なるたらい廻しの実態も… その結果、議長など誰でもできるポストにしてしまい、さらには議会審議自体を低下させる要因にもなっているとすれば、由々しき問題では… きのうの新聞に、コロコロと首相の変わる日本の政治を米紙が「回転ドア政治」と揶揄しているという記事が載っていた。総理大臣もまた、地方議会の議長と同じく、国会議員なら誰でもできるポストになったのだろうか。 |
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高松市議会の議員が4月の市議選を前に、市政報告会と称して支援者との集会に、2000人分の茶菓子代として58万円余を政務調査費から支出していたことが問題視されたことはこのブログにも書いた。 当議員もこれを認めて全額を返還したが、住民から監査請求を受けた市の監査委員はこれを違法とはしないながらも、今後「規則や運用指針の内容を検証することが肝要」と指摘した。市長も、「使用基準、ルールが適切に見直されること」を求めていた。 ところが、市議会の議会改善検討委員会は、このほど運用指針の見直しはしないことを取り決めた。そして今後は「各自が常識ある範囲で使う」ことも… 先の市議の使途例でも見られるように、そもそも選挙対策と政務調査の線引きを「常識」でもって決められるものだろうか。実質選挙対策でしかないものでも、理屈さえつければ、いくらでも「政務調査費」として逃げ切れるのではないか。 いまこの線引きを私たち市民の「常識」でもって行うとすれば、その使途が将来市民全体の利益になるか、単に当人の当選に役立つだけに終わるかということになるのではないか。「各自が常識ある範囲で使」った使途が、はたしてこの市民の常識内に収まるだろうか。
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