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リタイアライフは、毎日が黄金の時間。その満喫感をありのままに綴ってみます。

人生と暮らし

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こんな人が…

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きのう、録画していた「見えず、聞こえずとも」というテレビ番組を観た。目や耳の不自由な女性と結婚して、触手話によってその女性とのコミュニケーションに努め、格別の身構えや悲壮感もなく日々穏やかに二人の暮らしを続けている人のドキュメンタリー番組だ。

若い頃からトルストイや宮沢賢治の思想に惹かれ、人のために生きる実践活動にも参加してきた人のようである。奥さんへの献身がごく自然で、心からのものであるのが番組を通して感じられた。

同じように人のために生きる実践者に、今年はスーパーボランティアとして各メディアで報じられた尾畠春夫さんという人にも出会うことができた。この人の、何とも自然な、心からなる笑顔は観ていて毎回感動的だった。

一方、幾人もの女性を自宅におびき出し、欲望の餌食にした上殺害するという人もいたし、思いどおりにならぬわが子を「躾け」と称して死に至らしめた親もいた。こうした人もまた、上記と同じ「人間」という範疇にくくられている。

私たちは、多くの場合、「人間というのは…」とか「男というのは…」とか、物ごとを十把一絡げに捉えて判断を下しがちだ。そうではなく、一人ひとりの生き方をその見てくれや既成概念に捉われることなく、そのあるがままに見ていくことの大切さを改めて考えさせられている年の暮れである。

人生の無常

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今朝早々、同じ自治会の同年生まれのkさんの訃報が入った。つい先日私宅前でお互いの健康や最近の世相の変化についていろいろ話し合ったところだったのに…

この4月には、小学校の同窓生のO君が亡くなった。やはりその何ヵ月か前までメールで互いの近況や連絡事項を送信し合っていた。

二人とも、今年のうちに人生の最期を迎えることになろうとは夢にも思っていなかったに違いない。kさんやO君のみならず、人は自らの目前の最大事をも知ることができないということなのだろう。

仏教では、人が徹底して無知であるという事実を無明と呼んでいる。私もまたこの無明ゆえに自らの死期を知らずに日々を過ごしているということなのだろう。

多くの高僧が仏道に入った動機に人生の無常を挙げているが、それゆえにまたその後の禅定や修行によって揺るぎのない安楽境に達することもできたのだろう。二人の突然の死に遭い、改めて人生の無常を忘れることのないようにと自省しているところである。

秋も終わりに…

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11月に入ると、今年も終わりに近づいたことを日々実感するようになる。年をとるにつれ、その感慨も一層深くなる。

それは淋しくもあり怖ろしくもあるが、世界のすべての宗教がそこに源を有しているのではないだろうか。そしてできうることなら、人は各自の信じる宗教を通して、その淋しさや怖ろしさを脱し、心に平安を求めつづけてきたのではないだろうか。

それには、やがて終りへと向かう人生を、それにもかかわらずよしとして肯定する、不動で壮大な人生観が必要だ。私もまたささやかながら、今日までその探求の努力を続けてきた。

これが容易なことではないがゆえに、多くの人は日々の世事や娯楽の方へ目を向け、その至難から目を背けがちになるのではないかと思う。鈴木正三という一武士にして禅者が「人は皆大事を忘れ、戯言ばかりをつきて一生を空しく過ごすものなり」と見抜いたように…

いまだに私は人生を大肯定する心境からは程遠いところにいるが、もしそんな境地があるとしたなら、それはこの淋しさ怖ろしさからすっかり離れてしまったところにはないようにも思う。年末に向けて、そんなことも考えてみた。

想像力と空想

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この頃、想像力と空想ということをよく考える。人が生きていくにはそのどちらかによって今よりよい未来を思い描くことが必要だからだ。

空想というのは目の前の現実には眼を向けることなく、とにかくこうたりたい、こうあってほしいという理想を自分の願いだけで立ち上げることではないか。それに対して想像力というのは、自分を取りまく現実を隅々まで、その深層にまで徹底して眼を凝らしつづけるその力をいうのではないだろうか。

チャップリンの映画に『ライムライト』というのがある。そのなかで登場人物の一人が「人生に必要なものが三つある。希望と勇気、そして少しばかりのお金だ」と語るシーンは有名だ。

ここで「希望」と訳されているのは、イマジネイションという英語である。つまり原語では想像力となっているのを希望と訳しているのだが、これはなかなかの名訳だと思う。

どんなに醜悪で絶望的な現実からも眼を逸らすことなく、あくまで自らの眼をその深層に向けつづけ、そしてそうすることによって現実を切り開く未来を思い描くこと、それこそが想像力ではないか。そのような想像力によってのみ、人が生きていくに必要な希望を真に持ち得ることができるのだと思う。

人生、思うようには…

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先日、小学校の同級生が亡くなった。強気で明朗な性格の持ち主で、次の同窓会の開催に向けても一番意欲的な発言をしていたのに…

この級友に限らず、人の人生プランというのはおおむね各自の願いや思惑とは大きく異なる結果になるようだ。自身の人生でもそうだが、これを子や孫の代まで視野に入れれば、一層大きく隔たることに…

私の自治会を見わたしただけでも、日頃その人の口にしていたこととはまるで違った結果になっている人がけっこう多い。そのとおりに進んでいる家などむしろ稀なくらいだ。

私の知人に、常日頃「自分は計算して、ちゃんと答えが出ることしかやらないことにしている」と確言する人がいた。けれどもその人も、そしてそのお子さんもまた、おそらくその人の「計算して」いなかったに違いない結果に至ることになった。

こんな多くの事例を目の当たりにするたびに、人の限りない愚かさというものを思わないではいられない。けれどもそれは人を悲嘆や虚無感に陥れるだけではなく、逆にその結果人を謙虚にさせ、そして人知を越えたある大きなものへと目を向けさせてくれることにもなっているようだ。

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