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			<title>リタイアライフ満喫中</title>
			<description>退職すれば、黄金の時間が待っている…毎日職場へ足を運びながら、そう思ってきました。現在、その黄金の時間を満喫中です。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retire0611</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>リタイアライフ満喫中</title>
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			<title>こんな人が…</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-59-90/retire0611/folder/1197178/08/41442608/img_0?1546061634&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
きのう、録画していた「見えず、聞こえずとも」というテレビ番組を観た。目や耳の不自由な女性と結婚して、触手話によってその女性とのコミュニケーションに努め、格別の身構えや悲壮感もなく日々穏やかに二人の暮らしを続けている人のドキュメンタリー番組だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
若い頃からトルストイや宮沢賢治の思想に惹かれ、人のために生きる実践活動にも参加してきた人のようである。奥さんへの献身がごく自然で、心からのものであるのが番組を通して感じられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同じように人のために生きる実践者に、今年はスーパーボランティアとして各メディアで報じられた尾畠春夫さんという人にも出会うことができた。この人の、何とも自然な、心からなる笑顔は観ていて毎回感動的だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、幾人もの女性を自宅におびき出し、欲望の餌食にした上殺害するという人もいたし、思いどおりにならぬわが子を「躾け」と称して死に至らしめた親もいた。こうした人もまた、上記と同じ「人間」という範疇にくくられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私たちは、多くの場合、「人間というのは…」とか「男というのは…」とか、物ごとを十把一絡げに捉えて判断を下しがちだ。そうではなく、一人ひとりの生き方をその見てくれや既成概念に捉われることなく、そのあるがままに見ていくことの大切さを改めて考えさせられている年の暮れである。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retire0611/41442608.html</link>
			<pubDate>Sat, 29 Dec 2018 14:33:54 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>神社の総代に</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-59-90/retire0611/folder/1197173/15/41235915/img_0?1525131226&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
この４月から神社の総代を務めることになった。残り少なくなっている時間のなかで、できれば避けたいと思っていた世話役だったのだが…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実は檀那寺の総代にも何度も足を運ばれて頼まれていたのだが、何とかこれは逃れることができた。けれども神社の方は私より年長者がいろいろ理由をつけて拒否するものだから、間に立つ人が困り果てているのを見かね、やむなく引き受けることにしたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした寺や神社の世話役はたいてい引き受け手がなくて困っているのは、そこでの行事が単に形だけの慣例に過ぎなくなっているからなのだと思っている。これを改革するには、僧侶や神官が大きな問題意識を抱いてチャレンジすることが必要なのだが、それは思っても詮ないことが明らかだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
かくして、この３年間多くの時間をこの任務に費やさなければならなくなったのだが、ここ数日新年度の総会準備に当たってきて、これが思っていた以上に大変な役であるのに少し気分が塞いできてもいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ことに会計関係の書類作成にはエクセルの活用が欠かせず、在職中わずかに経験した操作法もすっかり忘れていて、目下ゼロからの勉強を始めているところだ。今回の総会資料は大半を前任者が作ってくれていたから何とか凌げるものの、はたしてこの一年間の勉強で、来年度の総会を無事に迎えることができるものかどうか、日に日に心配が募っている。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retire0611/41235915.html</link>
			<pubDate>Tue, 01 May 2018 08:33:46 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>二人の著書に</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-59-90/retire0611/folder/1197165/43/41119843/img_0?1515729003&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
去年の１１月から、井上洋治と神谷美恵子という二人の著者の本を熱心に読んでいる。前者はカソリックの神父さん、後者は精神科医にして大学の先生である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
分野は大きく異なっているが、両者に共通しているのが文学、哲学、宗教などその広範囲に及ぶ読書である。そしてその読書の仕方というのが学者のように研究的にではなく、一人の人間として、あくまで自分の生き方をかけて各著書に向き合い、挑んでいることだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それゆえ、それぞれご自分の文章を持たれていて、その文章自体が読者を最後の行まで引っ張っていく力を備えている。つまりは、読みやすいということだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そしてお二人とも、周囲のどんな人に対しても、実に誠実に、思いやりをもって接しいるのである。そしてそんな生き方を生涯貫いておられるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こんな著書を読んでいると、単なる知識が得られるだけの読書では物足りなくなる。著者が自分の生き方を模索しながら書き上げた、その体験をあるがままに書き上げた二人の未読の著書をここ当分の間読みつづけたいと思っている。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retire0611/41119843.html</link>
			<pubDate>Fri, 12 Jan 2018 12:50:03 +0900</pubDate>
			<category>読書</category>
		</item>
		<item>
			<title>人生の無常</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-59-90/retire0611/folder/1197178/75/41079775/img_0?1512195653&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
今朝早々、同じ自治会の同年生まれのｋさんの訃報が入った。つい先日私宅前でお互いの健康や最近の世相の変化についていろいろ話し合ったところだったのに…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この４月には、小学校の同窓生のＯ君が亡くなった。やはりその何ヵ月か前までメールで互いの近況や連絡事項を送信し合っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二人とも、今年のうちに人生の最期を迎えることになろうとは夢にも思っていなかったに違いない。ｋさんやＯ君のみならず、人は自らの目前の最大事をも知ることができないということなのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仏教では、人が徹底して無知であるという事実を無明と呼んでいる。私もまたこの無明ゆえに自らの死期を知らずに日々を過ごしているということなのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
多くの高僧が仏道に入った動機に人生の無常を挙げているが、それゆえにまたその後の禅定や修行によって揺るぎのない安楽境に達することもできたのだろう。二人の突然の死に遭い、改めて人生の無常を忘れることのないようにと自省しているところである。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retire0611/41079775.html</link>
			<pubDate>Sat, 02 Dec 2017 15:20:53 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>秋も終わりに…</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-59-90/retire0611/folder/1197178/74/41047474/img_0?1509685446&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
１１月に入ると、今年も終わりに近づいたことを日々実感するようになる。年をとるにつれ、その感慨も一層深くなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それは淋しくもあり怖ろしくもあるが、世界のすべての宗教がそこに源を有しているのではないだろうか。そしてできうることなら、人は各自の信じる宗教を通して、その淋しさや怖ろしさを脱し、心に平安を求めつづけてきたのではないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それには、やがて終りへと向かう人生を、それにもかかわらずよしとして肯定する、不動で壮大な人生観が必要だ。私もまたささやかながら、今日までその探求の努力を続けてきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これが容易なことではないがゆえに、多くの人は日々の世事や娯楽の方へ目を向け、その至難から目を背けがちになるのではないかと思う。鈴木正三という一武士にして禅者が「人は皆大事を忘れ、戯言ばかりをつきて一生を空しく過ごすものなり」と見抜いたように…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いまだに私は人生を大肯定する心境からは程遠いところにいるが、もしそんな境地があるとしたなら、それはこの淋しさ怖ろしさからすっかり離れてしまったところにはないようにも思う。年末に向けて、そんなことも考えてみた。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retire0611/41047474.html</link>
			<pubDate>Fri, 03 Nov 2017 14:04:06 +0900</pubDate>
			<category>宗教</category>
		</item>
		<item>
			<title>神の計らいを…</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-59-90/retire0611/folder/1197164/72/41045472/img_0?1509516282&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
わが家の前には、いまチロリアンランプが咲いている。随分前から咲いているのに、少しも衰えを見せずに咲きつづけてくれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この世には、人の計らいを越えた、まさに神の仕業ではないかと思われるようなことにもたまに出会うことがある。この花の姿かたちや色彩を目にしたときにもそんな感動に捉えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
釣り鐘さながらの花形といい、目の覚めるような深紅の色合いといい、ただ偶然にこうなったとはどうしても思われない。そこには最高に美しいものをつくり出さんとする、無限の力を備えたある何者かの意志を感じるのは私だけだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
科学的思考に慣れた私には、神などというものへの不信に染められてしまうことも少なくない。けれどもこのチロリアンランプの花を目にすると、もし神がいなければどうしてこんな花が咲くことができるだろうとの疑問に逆にとらえられもする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこでこの感動を自分一人だけのものにしないよう、昨年アーチ型の支柱を買ってきて、それに沿わせて枝を伸ばし花を咲かせることを思いついた。今年はあるいは同じ感動を抱いててくれている人がいるかもしれないなどと密かに思っているこの頃である。&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retire0611/41045472.html</link>
			<pubDate>Wed, 01 Nov 2017 15:04:42 +0900</pubDate>
			<category>その他趣味</category>
		</item>
		<item>
			<title>想像力と空想</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-59-90/retire0611/folder/1197178/60/41022860/img_0?1507698478&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
この頃、想像力と空想ということをよく考える。人が生きていくにはそのどちらかによって今よりよい未来を思い描くことが必要だからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
空想というのは目の前の現実には眼を向けることなく、とにかくこうたりたい、こうあってほしいという理想を自分の願いだけで立ち上げることではないか。それに対して想像力というのは、自分を取りまく現実を隅々まで、その深層にまで徹底して眼を凝らしつづけるその力をいうのではないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
チャップリンの映画に『ライムライト』というのがある。そのなかで登場人物の一人が「人生に必要なものが三つある。希望と勇気、そして少しばかりのお金だ」と語るシーンは有名だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここで「希望」と訳されているのは、イマジネイションという英語である。つまり原語では想像力となっているのを希望と訳しているのだが、これはなかなかの名訳だと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どんなに醜悪で絶望的な現実からも眼を逸らすことなく、あくまで自らの眼をその深層に向けつづけ、そしてそうすることによって現実を切り開く未来を思い描くこと、それこそが想像力ではないか。そのような想像力によってのみ、人が生きていくに必要な希望を真に持ち得ることができるのだと思う。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retire0611/41022860.html</link>
			<pubDate>Wed, 11 Oct 2017 14:07:58 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>少しいいことが…</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-59-90/retire0611/folder/860274/11/40989611/img_0?1505102181&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
このブログを止めることにしたのは、自分の最終の目標に向かってチャレンジしたいからだった。その目標に一歩近づけた結果が最近になってようやく出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とはいっても、それは目標までのほんの一歩に過ぎないもので、その向こうにははるかな道程が残っている。残された時間を思えば、とうてい達成できずに終わることが予想される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでも、これまでには得たことのない成果である。結果を知ったとき、あまり経験したことのないうれしい気持ちを味わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そしてやはりこれからもずっと挑戦を続けていこうとの気になっている。というより、今まで以上に迷いのない、まっしぐらな気持ちを抱いて…&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それは、おそらく目標を達成しないままに終わることを見通している気持ちと矛盾するものではないとも思っている。なぜなら、人生とは、あの『白鯨』のエイハブ船長のように、何より目標達成への絶えざるチャレンジなのだから…</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retire0611/40989611.html</link>
			<pubDate>Mon, 11 Sep 2017 12:56:21 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>中学校の同窓会に</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-59-90/retire0611/folder/860274/18/40964318/img_0?1503293571&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
きのう、中学校の同窓会があった。小学校は今までにも何回か開かれているが、中学校は私には初めてのことだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中学校というのは、たんに通過点であって、これといって思い出に残るものがないという人もいる。それには、ともに何かをしたという体験がないのが大きいと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中学校時代というのは誰しも自我に目覚める頃で、小学生のように皆がいっしょになって何かをするということが少ないのではないか。それぞれ自分に固有な生き方を始める、あるいは模索する頃で、そんな者同士がただ同じ学校を卒業したという理由だけで寄り集まっても、そもそも共にその話を楽しめる体験自体がないのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人は顔が違うように、考え方や生き方も人それぞれだ。しかも大方の人生をほぼ終えた人ばかりの会合ともなれば、共通の話題に花を咲かせるというのは一層難しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その結果、何十年ぶりの同窓会とはいっても、たいてい世間話かその場限りの雑談に終わるというのが一般だろう。無論それでいいという考えもあるだろうが、それだけでは少し淋しい気もして、やはり自分は今までどおりの生き方をマイペースで、そして淡々と貫いていくしかないということを再確認した一日でもあった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retire0611/40964318.html</link>
			<pubDate>Mon, 21 Aug 2017 14:32:51 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>パソコン買いました！</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-59-90/retire0611/folder/860274/10/40942010/img_0?1501743538&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
ここ１年パソコンの操作にいろいろ不具合が出るようになった。加えて１０日ほど前に印刷機が故障し、電気店に相談したら、もう１０年も経っているので修理は不可能と言われ、いずれも買い替えることにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
きょう午前中にその両機のセットアップに来てくれた。真新しい機器を前に幾分新鮮な気になり、ブログの更新もしてみたくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私はパソコンの購入はこれで３度目であるが、これまではおおむね１０年前後使ってきている。はたして私自身にこれから１０年間もパソコンを使い続けことができるだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私がブログを開設するまでにパソコンのお世話になるようになったのは、リタイアする前の１年間程部下が1人もいない職場に配属されることになり、やむなく必死でパソコンの操作を学んだことによっている。もしあのまま部下任せの職場にいたら、私はこうしてパソコンに親しむことはなく、ましてやブログを開設することなど思いもよらなかったことであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と考えれば、物ごとというのは何から何まで悪いことづくめということはなく、その時随分ひどい仕打ちだと思われたことのなかにも、こうして、そのお蔭でパソコンが…と感謝できる一面もある。この一件からも、目の前のどんな局面にも一喜一憂することなく、少し長い目をもって事の判断をしなければという考えになっている。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/retire0611/40942010.html</link>
			<pubDate>Thu, 03 Aug 2017 15:58:58 +0900</pubDate>
			<category>ホームページ</category>
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