のほほん仙人

風が好きです。涼やかで、晴れやかで。そんな感じが僕の「のほほん」 nohosen@gmail.com

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こんにちは。。。

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教会・・・ 
知っている人は、知っている。一般的に教会というと、キリスト教の教会を思い出しますよね。でも、キリスト教の教会は、公会とか協会の文字を案外使っているんですよ。
その他の宗教のほうが、あっさり教会を使っています。天理教もそうだし、その他のものもそう。

て、書き出しましたが、これは余談。

僕の「rev_snufkin」ていうのは、日本語するとスナフキン牧師。
ということで、このブログで、この神様に関することを書き出そうと思います。
基本的には、キリスト教の聖書の内容を元にして書いていこうと思います。

でも、僕は、キリスト教にこだわっているわけではありません。どんな宗教も「神」に近づいていくことが目的だと思うからです。つまり、道が違っていても、山の頂上に向かっているということです。

僕は、今は、この方法で、神様を知っていこうと思っています。
ですから、他の道を選んで生きている人も、話に立ち寄ってくれると、とってもうれしく思います。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 コリント人への第一の手紙13章4節~13節

 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。

 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。

 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。

 なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。

 全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。

 わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考え ていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。

 わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わ せて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完 全に知られているように、完全に知るであろう。

 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いな るものは、愛である。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 有名な聖書の箇所で、クリスチャンでなくても、いろんな場所で見ていると思います。いろいろ書いてあって、最後に「ずっと存在するのは信仰と希望と愛。大切なものは愛」と〆てあります。「あぁ、なるほどそうだな」と感じる人が多いと思いますが、普通は、その次に「でも、現実いろいろあるしなぁ」という言葉をくっつけていることが多いと思います。

 人は、結婚するときに永遠の愛を誓って出発します。「自分の命をかけて、この人を愛して行こう」なんて思ったりして、そして「この人を愛を信じていこう」などと思い返して・・・。まぁ、そんな感じです。でも、現実に暮らし始めると、いろいろな事件が起きます。子供の教育方針だったり、経済的な問題だったり、趣味の違いであったり・・。
 それが現実です。だから、甘いもんじゃないんです。「愛」は永遠ではないんです。
 と多くの人が感じています。

 そうと感じても不思議ではありません。
 現実に永遠続いた愛を目の前にしたことは、ほとんどの場合ありません。でも、不思議なことに誰でも永遠の愛を求めているのも現実です。

「ためしに結婚してみない?」
「3年くらいは、頑張るよ」
「30年、子供が、結婚するまでは、家庭を保障するよ」
 どの言葉も、プロポーズの言葉としては適当ではありません。やっぱり、プロポーズは
「永遠に貴方を愛します」
 が、最も心を動かす言葉であることに変わりありません。さらに、このことは、おそらく全世界どこにいっても同じでしょう。
 このことも「現実」です。時代が変わってても、ところが変わっても、誰の心も、変わらない永遠の愛を求めているのです。

 だから、ワザワザ聖書でもっともらしく書いてくれなくても、誰でも知っているんです。
「愛が一番大切だ」と。
 でも、その愛を一番大切にしていないのは、誰でしょうか。自分か、相手か。相手もそうかもしれませんです。でも、自分もそうかもしれません。

 愛が一番大切なことがウソではなく、そのことを信じて、そのごとく生きていけないものが、大切な愛の喜びから離れているんではないかと思います。
 愛が永遠ではないのではなく、人の心になかに、その永遠を求めているにもかかわらず、私の心が永遠をあきらめてしまうから、永遠で無くなってしまうのです。もし、自分が、一度すててしまっても、その愛を思い出して、大切にしてし始めたら、また、愛は、戻ってきますよね。捨てたと思っていた愛は、そっと、心の中にのこっているのです。

 だから、聖書に書いてあるんです。人間が知らないからではありません。時に忘れてしまっている人に思い出してもらうようにかいてあるのでしょうね。

「最も大いなるものは、愛である」と

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閉じる コメント(2)

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『病める時も健やかなる時も・・・』
うちのおっかちゃんはその言葉を信じて今日もがんばっております。
神様の前で誓ったから実行してるんだってw
我が母ながら信仰の大きさに感心感心www 削除

2007/11/7(水) 午後 7:41 [ haokiti ] 返信する

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そうかぁ。そのお母さんがいることも、haokitiが、やさしい子でいれる理由のひとつやな。わかった。わかった。

2007/11/7(水) 午後 7:57 rev*snu*kin 返信する

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