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大野一雄さん、逝く

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「BUTOHブーム」

最晩年まで踊り続けた国際的な舞踏家の大野一雄(おおの・かずお)さん

1日午後4時38分

呼吸不全のため横浜市内の病院で死去した

103歳。葬儀の日取りなどは未定。




北海道出身
日本体育会体操学校(現日本体育大)在学中に舞踏家を志した

卒業後は、
横浜市の女子高に体操教師となり
仕事の傍ら
モダンダンスを始める。


第二次大戦中、召集
中国などを転戦

復員後の49年、舞踏家として初公演
その後も教員として働き
活動を続けた。


60年代
土方巽さんと共に白塗りの化粧にすり足というスタイルで
前衛的な舞踏を作り上げた


土方さんの「暗黒舞踏」に対し
大野氏は
即興性を重視した「魂の舞踏」と呼ばれた。



100歳を超えても舞台に立ち続け
最晩年はアルツハイマー症とも闘う。
しかし。。。
踊りへの意欲は衰えなかった

99年
イタリアのミケランジェロ・アントニオーニ芸術賞。


息子の大野慶人さんも舞踏家。

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      住吉神社の近くの明石川


 
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     兵庫県の 住吉神社です






 新嘗祭の奉納と先日

 ご報告させて頂きました



 しかし。。。宮司が「二星」を踊ってほしいと



 「二星」は

 織姫と彦星が天の川で出会う

 7月7日の七夕の舞です



 ですので。。。夏に奉納してほしいと



 ということで。。

 7月24日の住吉神社の夏祭りに

 奉納させて頂くことに。。。変わりました




 思い出すのは3年前の7月7日

 ミャンマーサイクロン被害義援金チャリティーコンサートを

 させて頂きました



 
 その時の会館は

 地元神奈川県川崎市の

 元住吉にある国際交流会館でした




 ご縁を感じます




 天の川

 悲運の星が幸運に換わり

 良縁をむすべるように。。願いを込めました


 
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筑紫舞

 
かつて日本には
 
「くぐつ」とよばれる一族がいました。
 
 
定住生活をしないで
 
街道をさすらい
 
「祓え」の芸を演ずることで生計を立てる「芸能集団」のことです
 
 
この集団は定住しないが故に
 
体制に縛られず
 
権力を恐れない「誇り高き一族」
 
 
その自由な精神から
 
その時代に即したさまざまな芸能を生み出しました
 
 
今様
 
能、狂言
 
人形浄瑠璃
 
歌舞伎舞踊。。。。
 
 
その「くぐつ」達が
 
「祓えの芸」として
 
大切に護り伝えてきた神事芸能が「筑紫舞」
 
 
「筑紫舞」は
 
神に捧げる「神舞」
 
神社境内でみせる「くぐつ舞」に別れます
 
 
また、春夏秋冬
 
それぞれの祭りによって
 
神様に捧げる舞もあり、祭神によってもちがってきます。
 
 
いずれにせよ
 
舞う(旋回や回転)
 
踊る(ジャンプ/跳躍)がふんだんに盛りこめられます
 
 
舞う(ターン)、踊る(ジャンプする)
 
この二つの要素は
 
「神に近づく技」として、確立しています。
 
 
 
 
 
☆「くぐつ」とは、人形のことをいいます。

奉納 兵庫県神戸市

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住吉神社のある地

そこは、押部谷というところ


今から、1300年以上昔。。。

鉄の生産技術のある渡来人「忍海部」をあつめて

住まわせていたそうです。


ですので、

朝廷ともゆかりのあった場所


雄略天皇が天皇になる前

押歯王〔おしはのみこ〕という天皇の兄がいて


。。兄なので、一般的にはこの人が、後の天皇


それで、雄略天皇は兄に

ある日、一緒に「狩り」にいこうと誘いだして、兄を殺し

自分が天皇になってしまいます。


押歯王〔おしはのみこ〕には、二人の子供(男子)がいました。


当然、この二人にも追っ手が来ます。


二人の男の子は、難を逃れるために

忍海部のもと(今回奉納させていただく、住吉神社のある押部の地)にいきます。


二人の男の子は、自分の身分を隠し

下男としてはたらきます。


時がたち

雄略天皇もこの世を去り

皇位継続者がいなくなり。。。朝廷は二人の行方を探します


以降は、朝廷の使者が

忍海部の屋敷で

二人の男子と出会うシーンです






 そして、山部連〔やまべのむらじ〕
(*小楯〔ヲダテ〕を針間国〔はりまのくに〕長官に任じた時
その国の人民〔たみ〕、名は志自牟〔シジム〕(の新築の宴会〔えんかい〕を訪れた

こういうわけで盛んに宴会〔えんかい〕をし
盛り上がりも最高潮〔さいこうちょう〕となって
順番に皆で舞〔まい〕を舞〔ま〕った。
そして火を焚〔た〕く係の少子〔わらは〕が二人、竈〔かまど〕の傍〔そば〕におり
その少子〔わらは〕たちにも舞〔ま〕わせた。

するとその一人の少子〔わらは〕が
「兄上が先に舞〔ま〕ってください」と言い
その兄もまた「おまえが先に舞〔ま〕いなさい」と言い
このように譲り合ったので、その集まっていた人たちは
その譲り合う様子を笑った。

そしてようやく兄が舞〔ま〕い終え
次に弟が舞〔ま〕おうとしたところ、詠〔よ〕みをつけて。。。

物部〔もののふ〕の 我〔わ〕が夫子〔せこ〕の 
取〔と〕り佩〔は〕ける 大刀〔たち〕の手上〔たかみ〕に
丹画〔にか〕き著〔つ〕け
其〔そ〕の緒〔を〕は 赤幡〔あかはた〕を載〔の〕せ 
赤幡〔あかはた〕を立〔た〕て 見〔み〕れば い隠〔かく〕る
山〔やま〕の三尾〔みを〕の
竹〔たけ〕をかき苅〔か〕り
末押〔すゑお〕し靡〔なび〕かすなす
八絃〔やつを〕の琴〔こと〕を 調〔しら〕べたる如〔ごと〕 
天〔あめ〕の下治〔したおさ〕めたまひし 
伊邪本和気〔いざほわけ〕の 天皇〔すめらみこと〕の御子〔みこ〕
市辺〔いちのべ〕の 押歯王〔おしはのみこ〕の
奴末〔やつこすゑ〕

(意味↓)
武人〔ぶじん〕である我が兄上が佩〔は〕いている大刀〔たち〕の柄〔つか〕に、
赤い色を塗〔ぬ〕りつけ
その紐〔ひも〕には赤い布を飾り
赤い旗を立てると、敵は隠れてしまった。
山の峰〔みね〕の竹を刈〔か〕り、竹の先端をなびかせるように、
八弦〔はちげん〕の琴〔こと〕を奏〔かな〕でるようにして天下を治められた、
伊邪本和気〔イザホワケ〕天皇の、御子〔みこ〕の市辺押歯〔イチノベノオシハ〕王の
その子孫〔しそん〕である。

(※これは一字一音の歌謡とは異なる)

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