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皆様への訪問がなかなか出来ません ごめんなさい

吉水神社の宮司さん転載集

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台風12号の大きな傷跡



台風12号、温帯低気圧に…北日本は大雨警戒を
読売新聞 9月5日(月)15時58分配信

 気象庁は台風12号が5日午後3時に温帯低気圧に変わったと発表した。

 気象庁によると、大雨の峠は越えたが、台風が持ち込んだ湿った空気の影響で、東日本から北日本にかけての所々で雨雲が発達しており、1時間に20ミリ前後の強い雨が降っているところがある。

 東日本では5日夜にかけて1時間に30〜40ミリの激しい雨が降る所がある。また、北日本では今後6日にかけて局地的に1時間に50〜60ミリの非常に激しい雨が降るところがある。特に北海道は雨量が多くなる見込み。

 これまでの記録的な雨で地盤が緩んでいるところもあり、気象庁は引き続き、土砂災害、河川増水、氾濫などに注意を呼びかけている。

 6日午後6時までの24時間に予想される雨量はいずれも多い所で、北海道400ミリ、東北150ミリ、北陸100ミリの見込み。 


<台風12号>死者27人不明52人 道路寸断され救出難航
毎日新聞 9月5日(月)11時7分配信


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民家が押し流された土砂崩れの現場=和歌山県田辺市で2011年9月5日午前9時8分、本社ヘリから大西岳彦撮影
 台風12号による大規模な豪雨被害が出た奈良県や和歌山県では5日朝から、他府県警からの応援や陸上自衛隊の派遣を得て、行方不明者の本格的な捜索活動が始まった。しかし、土砂災害で各地の道路が寸断されている上に、悪天候でヘリコプターが使えないところも多く、活動は困難を極めている。村営住宅2棟などが流された奈良県十津川村では同日朝、新たに行方不明者1人が遺体で見つかった。毎日新聞のまとめでは、全国で死者は27人、行方不明者は52人となった。

【濁流、橋脚倒壊…】台風12号の被害を写真で

 24人が死亡・行方不明となっている奈良県五條市と十津川、天川両村では、県警と京都府警、兵庫県警の広域緊急援助隊の約120人が捜索を開始。十津川村長殿(ながとの)で行方不明の3人のうち、無職、森段造さん(82)を遺体で発見した。

 奈良県五條市大塔町と十津川村の捜索拠点は、国道168号沿いの同市役所大塔支所だが、周辺を含めて携帯電話は通じず、警察無線も建物内では使えない。そのため、支所の少ない電話回線で五條署とのやりとりを行っている。

 国道168号は、支所から南側は大規模な土砂崩れのため車両で進むことができない。自衛隊が迂回路(うかいろ)となる林道の拡幅などを行っている。県警などの捜索隊は5日、10人が行方不明の五條市大塔町宇井などに向かったが、車は通行できず、林道などを歩いている。途中はロープなどを使って険しい崖を上り下りしなければならないという。遺体の発見された十津川村長殿にも、警察官や消防隊員が担架などを抱えて向かっている。

 1人が死亡、7人が行方不明の十津川村野尻の捜索は、五條署十津川分庁舎の16人の警察官や消防団員が当たっているが、橋の落下や道路の寸断で応援人員が1人も入れていないという。

 奈良県の災害派遣要請を受けた陸上自衛隊大久保駐屯地(京都府宇治市)は4日早朝から午後にかけて、隊員156人が車両68台を伴って同県五條市大塔町などに入った。10人が行方不明になっている宇井地区でほとんどの隊員が人命救助活動に当たっている。

 また大塔支所から宇井地区に向かう幹線道路の復旧の見込みが立っていないため、既存の林道を使った迂回路の確保に、バケットローダーと呼ばれる土砂除去用の大型工作機械で当たっている。

 一方、和歌山県内では5日朝、消防や警察、自衛隊などが捜索・救出作業を再開。ただ、流木などで道路が寸断され、通信設備の故障で電話が通じないなど連絡の取れない集落が多数あり、活動は難航している。

 連絡が取れていないのは、田辺市1地区の193世帯308人▽新宮市9地区の計293世帯556人。新宮市では、氾濫した熊野川沿いの地域などと連絡が取れていない。ヘリコプターなどで救助を進めているが「被災地域が広く、住民数も多いため、どれだけの要救助者がいるか把握するのが難しい」(県総合防災課)という。

 山間部にある那智勝浦町の色川地区は市街地に抜ける道の土砂崩れが原因で孤立しており、同町は自衛隊に派遣を要請し、自衛隊は5日早朝、現場で捜索を始めた。

 5日の奈良、和歌山両県では雨が弱まったが、奈良、和歌山両地方気象台は両県南部では地盤が緩んでいるとして、大雨警報を解除せず、引き続き土砂災害への警戒を呼びかけている


転載元転載元: 世界遺産の吉水神社から「ニコニコ顔で、命がけ!」

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邪気祓所(じゃきはらいしょ)究極の「パワースポット」
 
 この吉水神社の北闕門(ほくけつもん)は
 
後醍醐天皇が京都に凱旋する時の門であり
 
昔から修験者(山伏)たちの祈りの場であった
 
 ここより大峰山に入山するにあたり、無事に
 
下山できるように祈りをした聖地なのです。
 
山伏達は、吉水院で大峰山への入山許可書
 
を戴き、護摩を焚き、崖から落ちたり熊や猪
 
蝮(まむし)に襲われることなく
 
「無事平穏」に下山できるようにと念じたのです。
 
 
後醍醐天皇も朝夕必ずこの北闕門に立たれ
 
京都の空を仰ぎながら「九字」を切られました
 
また、その後楠正行(くすのきまさつら)も出陣
 
にあたり、「九字真法」の印を切り結んだ場所と
 
伝えられている。
 
吉野は「国軸」であり、吉野・高野・熊野は
 
霊験あらたかな「再生・甦り」の霊地として
 
これからも人々に「勇気と希望」を与え
 
続けるのです。
 
このパワースポットは「力がもらえる」
 
「元気がもらえた」と人気の高い所です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
※ 
●五芒星(ごぼうせい)
 
五芒星は、終わることのない無限の循環、永遠の生命、永遠の繁栄を表していると教えているのである。
この護符が置かれると、「魔」が入り込んでも、「魔」はその中に捕らえられて、永遠に外に出られないことになるのだという。

五芒星の「芒」とは「稲の先端の事。転じて針先、光の先端」と辞書にある 
 
 五芒星は、陰陽道では魔よけの護符として使われるシンボルで、正五角形の五つの頂点は、木、火、土、金、水星を表している。また、外辺で結ばれた隣の頂点は互いに生かしあう「相生」の関係を意味し、一筆書きしたときに出来る内線は、前者の頂点の星が後者の頂点の星に「克つ」関係にあり、終わりなく結ばれる線は常に克ち続けることを意味していると
 
※ ●九字真法

『臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前』


 
 
 
                                                        
 
 

転載元転載元: 世界遺産の吉水神社から「ニコニコ顔で、命がけ!」

 
 
深々と降りしきる雪の中で
歳神様(としがみさま)を迎えして
 
正月は、歳神様をお迎えし祝う行事です。
 
歳神とは1年の初めにやってきて、
 
その年の作物が豊かに実るように、
 
家族みんなが元気で暮らせる約束をしてくれる神様です。
 
正月に門松〔かどまつ〕やしめ飾り、鏡を飾ったりするのは、
 
すべて歳神様を心から歓迎するための準備です。
 
そもそも、私たちの祖先は
 
"全てのモノには命がありなんらかの意味がある"という
 
 
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世界一の『日本の正月』


この文化伝統を、永久に『だいだい』『ゆずりは』であります様に祈る

正月の形・・・・『日本の誇り』   ≪【年神様(としがみさま】≫新年の神様。 「正月様」「歳徳神(としとくじん」ともいいます。 年の初めに1年の幸せをもたらすために降臨してくると考えられていました。  ≪初日の出≫   その年の最初に昇って来る太陽を拝み、1年の幸運を祈るもの。 かつて、初日の出と共に年神様(としがみさま)が現れると信じられていたことに由来します。 特に、高い山頂で迎える太陽を「ご来光(ごらいこう)」といいます。 山頂近くの雲に映った自分の影が、光の輪を背にした仏像のように見えたためとか。 「ご来迎(らいこう)」との語呂合わせもあるようですね。   ≪若水 ≫  元日の早朝にその年初めて汲み、神棚に供えたり、雑煮を煮たり、福茶をたてるのに用いる水。 この水を飲めば一年の邪気を払うとされています。 平安時代から宮中では立春の行事でしたが、後に元旦の行事になり、一般に浸透しました。 年頭最初の大事な行事で、若水を汲むのは年男の役目でしたが、西日本などでは主婦の役割としている地方も多いようです。 若水を汲むことを若水迎えといい、できるだけ遠方に汲みに行くのが良いとされ、途中で人にあっても口を利くのは厳禁でした。 水を汲む時は「黄金の水を汲みます」と唱えます。 現在では井戸から飲料水を汲むことはほとんどなくなりましたが、元日の夜明けに名水を汲みに行く方も多くおられるようです。 夜明けに名水を汲みに出掛けるのも大変ですね。 水道の蛇口にしめ飾りをかけておかれるといいのではないでしょうか。 新しい年を新たな気持ちで迎えるというけじめの意味が大きいと思いますから。    ≪【福茶】≫  若水を沸かして入れたお茶のことで、邪気を払うとされています。 煎茶の中に梅干や結び昆布が入っています。 空也上人ゆかりの六波羅蜜寺では、正月三ヶ日大福茶がふるまわれ、飲めば一年の悪疫から逃れられるといい大勢の参詣者で賑わいます。       ≪初詣≫   年の初めに神社仏閣にお参りして、1年の無事息災を祈ること。 大晦日の除夜の鐘を聞きながら家を出て、元旦にお参りすることを「二年参り」といいます。 昔は、一家の家長が大晦日の夜から神社に出掛けて、寝ないで新年を迎える習わしがあったそうです。 元々は地域の氏神を祀っている神社にお参りしていたようですが、やがてその年の恵方にあたる神社に出掛ける「恵方参り」になったそうです。 現在は恵方参りに限定せず、各地の神社にお参りするのが一般的になっていますね。 松の内(1月7日)までに参りましょう。  ≪【恵方(えほう)】≫                                その年の干支によって年神様のいる方角。2009年(平成21年)は東北東です。          ≪門松≫   新年を祝って、家の門口に飾ります。 元々は新年を迎える際に年神様が降りて来る時の目印として木を立てたのが始まりといわれています。 松が飾られるようになったのは平安時代からで、それまでは杉や椿、榊などが使われていたそうです。 松は神が宿る木と考えられていたため、めでたい木とされたのでしょう。 門前の左右一対並べるのが一般的。 玄関に向かって左の門松を雄松(おまつ)、右の方を雌松(めまつ)と呼びます。 本来、門松用の松は「松迎え」といって、家ごとに山へ採りに行っていました。通常、12月13〜28日か30日に飾ります。 29日は「苦立て」、31日は「一夜飾り」といって嫌います。 飾る期間は松の内までですが、地域によってまちまちです。≪しめ飾り≫    門松と同様、正月に年神様を迎える準備として、玄関口や家の神棚に飾ります。 元々は、神社にしめ縄を張るのと同じく、自分の家が年神様を迎えるのにふさわしい神聖な場所であることを示すために、家の中にしめ縄を張ったのが始まりだといわれています。 しめ飾りは、しめ縄に裏白(うらじろ)、ゆずり葉、橙(だいだい)などをあしらって作ります。常緑の葉であるウラジロは「長寿」を、ユズリハは新芽が出てから古い葉が落ちることから「家系を絶やさない」という願いが込められているそうです。 橙は「家が代々(だいだい)栄える」として、縁起物として使われています。      ≪鏡餅 ≫  お正月に大小の丸い餅を重ね、年神様へのお供えとして神前や床の間に飾ります。 正月に餅を食べる習わしは、中国で元旦に固い飴を食べる習慣にあやかって、宮中で「歯固め」の儀式として始まったそうです。 元々餅は、神様に捧げる神聖な食べ物として用いられていました。 室餅時代になって、床の間のある書院造りが普及するようになり、正月に年神様に備える目的で、現在のような鏡餅が定着したといわれています。 鏡餅といわれる理由は、昔の鏡が円形だったためで、人の魂(心臓)を模したことから丸餅になったなど、諸説いろいろあります。 また、大小2つ重ねるのは、月(陰)と日(陽)を表していて、福徳が重なって縁起がいい、めでたく年を重ねるという意味があるそうです。飾り方は、奉書紙か半紙を敷いた三宝(さんぽう)という食物を供える四角の台に裏白(うらじろ)とゆずり葉を敷き、昆布を置き、餅を重ね、橙を載せるのが一般的。1月11日の鏡開きまで飾ります。  ≪お屠蘇(おとそ)≫   おとそは日本酒と思われている方も多いようですが、元々は中国から伝わった薬酒の一種で、山根(さんしょう)、、桔梗(ききょう)、防風(ぼうふう)、肉桂(にっけい)、丁子(ちょうじ)、陳皮(ちんぴ)、大茴香(だいういきょう)などが調合されています。 中国では漢方薬を大晦日に井戸の中に吊るして、元旦になって引き上げ、酒に浸して作ったとか。 屠蘇には「鬼気を屠絶し人魂を蘇生させる」という意味があり「邪気を払い、不老長寿を願う」薬種として、新年になると年少者から順番に飲んだのだそうです。   ≪おせち料理 ≫【一の重】 祝い肴・口取り  かまぼこ・きんとん・伊達巻など【二の重】 焼き物  ブリの照り焼き・イカの松風焼きなど【三の重】 煮物  レンコン・里芋・高野豆腐など【与の重】 酢の物  紅白なます・酢レンコンなど【五の重】 控えのもの   「おせち」は「御節供(おせちく)」の略。元々は季節の変わり目の五節句(年始め・桃の節句・端午の節句・七夕・重陽の節句)に年神様に供える食べ物のこと。年に何回かある節句の中でも、特に正月が重要な節句ということから正月料理に限定していうようになりました。現在、おせち料理は正月の三が日に食べますが、松の内まで人を招いて饗応することを「おせち」「おせち振舞」「椀飯(おうばん)」と呼びました。椀飯は鎌倉時代以降、武家の間で行われた饗応のスタイルで、年頭に目上の人を招いてもてなすことを「椀飯振舞(おうばんぶるまい)」といいました。現在のようなおせち料理が民間に広まったのは江戸時代だそうです。おせち料理は年神様に供える供物料理であると共に、家族の反映を願う縁起物の家庭料理でもあります。日持ちのする材料で作ってあるので、家族が食べる他に、お客様にも出せるように重箱に詰めるのが一般的。正式には四段重。 ※五段重という説もあります。一の重、二の重、三の重と呼びますが、4番目は「与の重」といい、忌み数字である「四」は使いません。   【紅白かまぼこ】紅はめでたさと喜びを表わし、白は神聖を表わします。【昆布】 「喜ぶ」に通じるため。【海老】 ヒゲが伸び、腰がまがっている様を老人に見立て、長寿への願いを込めて。【黒豆】 まめにこつこつ働くことができるように。【数の子】 親、子、孫と子孫の繁栄を願って。【田作り】 今年もいいお米が取れますようにとの願いを込めて。【鯛】 「めでたい」の語呂合わせ。【くわい】 芽が伸びていることから「芽が出るように」と願って。【里芋】 里芋には小芋がたくさんつくので、子宝に恵まれるように。【栗きんとん】 金団(きんとん)には財宝という意味があるため、豊かに暮らせるようにとの願いを込めて。【ごぼう】 しっかり根を張って長生きすることを願って。      ≪雑煮 ≫  元々雑煮は、年神様に供えた餅を神棚から下ろし、野菜や鶏肉などとで煮込んで作った料理で「雑煮餅」ともいいました。正月の食べ物ではなく、室町時代頃の儀礼的な酒宴などで出されたのが始まりだそうです。宴の始まりにいただく縁起物の料理だったので、それが一年の始まりにいただくものとして庶民の間にも伝えられていったようです。雑煮は、地域によってそれぞれ特色があります。丸餅か角餅か。焼くか焼かないか。白味噌か・・・などなど本当に様々ですね。一般的には関東が角餅、関西が丸餅。 関西で丸餅を使うのは、年神様に備える鏡餅をかたどっているためといわれています。  ≪お年玉 ≫  年神様に奉納された鏡餅を年少者に分け与えたのが始まりといわれています。金品を贈るようになったのは室町時代からで、当時は扇や筆などを贈っていたようです。お年玉は年少者や自分より地位の低い人に贈ります。   ≪書き初め≫   年が明けて初めて毛筆で一年の抱負や目標をしたためるもの。一般的には2日に行います。「吉書」とも呼ばれ、恵方に向かって、めでたい言葉や詩歌を書いたのが始まり。元々は宮中での儀式でしたが、やがて江戸時代の寺子屋や明治時代以降の学校で習字が必修となり、庶民の間にも広まるようになりました。学校や地域の行事で書き初め大会を行うところがありますが、家庭で行うところは少なくなったようですね。私自身、習字を習っていた頃は書いていた記憶があるのですが、今は全く・・・(反省)。  ≪初夢 ≫  一般的に、正月の2日の夜に見る夢のこと。元々中国から伝わったもの。夢を食うといわれる獏の絵を枕の下に入れて吉夢をみようとしたという故事にあやかったものだそうです。日本でも室町時代には、よい初夢が見られるように宝船の絵を枕の下に敷いたりしたそうですよ。「一富士、二鷹、三なすび」の夢を見ると縁起がいいとされたのは江戸時代になってから。どうして元日の夜ではなく2日の夜なのでしょうか。昔は仕事始めや書き初めなど、年初めの行事が2日だったため、一年のスタートとして、2日に見る夢を重視したようです。 【一 富士、二 鷹、三 なすび】 これらは駿河の名物で、当時、天下を取った駿河出身の徳川家康にあやかりたいという庶民の願望だといわれています(他にも説はあるようですが)。さらに「四扇、五 煙草・・・」と続きます。 
 

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世界遺産 南朝皇居 吉水神社・・(国軸霊地 スピリチュアルパワー・スポット)





「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」の「九字真法」の聖地 北闕門(ほくけつもん)


『歌書よりも軍書に悲し吉野山』


◎北闕門(ほくけつもん)は、


吉水神社の境内で

最も強いパワースポットです。

後醍醐天皇がいつの日か北闕(京都)に帰りたいと

毎日京都の方向の空を見つめられて祈願された聖地です。


「九字真法」を切られていた霊地なのです。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」

(後醍醐帝の御立ち石の場所)
☆☆☆

楠木正行公吉水院で

『九字の刀印』を切る


楠木正行(くすのきまさつら)の決死の覚悟

南朝皇居吉野の「吉水院」(吉水神社になる前)にて後村上天皇に拝謁、

≪最後の九字切りを致す≫

『楠木 正行公 刀を抜きて 刀印を切る !』

吉水院の『北闕門(ほくけつもん)』で、

楠木正行らは「邪気祓い」を成し、



「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」の「九字真法」の必勝の刀印を切る。




○露の身を草の枕に置きながら 風にもよもと 頼むはかなさ・・(後醍醐天皇 御製)

(人の命は朝露のようなもの、風にさえ・・もしかして、都に凱旋できるのではと、はかない望みを抱く日々です)


延元四年(1339)秋、後醍醐天皇は病に倒れた。「秋霧にをかされさせ給て」と「神皇正統記」にあることから初めは風邪程度であったろう。しかし相継ぐ挫折で失意にあり、長年の活動は体力的な負担も小さくなかった。またこの年には吉田定房・坊院清忠と近臣が次々に世を去り、寂寥の感が後醍醐の気を更に弱めたと思われる。

 こととはむ人さへまれになりにけりわが世の末のほどぞ知らるる(新葉集・哀傷)
(色々相談相手になってくれる重臣達を次々亡くしてしまった。我が世も末に近づいた事がしみじみ知られる)

この歌にも後醍醐天皇らしからぬ弱音が感じられよう。こうした中での病であったから、次第に病状は悪化、8月16日には遂に崩御。最期の言葉は次のようであったと「太平記」は伝える。「妻子・宝・王位などは来世には伴う事の出来ぬ物だとの如来の言葉は、朕が常々感じていたことであり、昔の中国君主の様に近臣や宝を伴おうとは思わない。ただ死後までも無念なのは朝敵を滅ぼして天下泰平を現出できなかったことだ。……我が遺骨がたとえ吉野山の苔に埋もれるとも、我が魂は常に北の天を睨んでいようと思う。もし朕の命に背く者があれば、君も正しき君でなく、臣も忠義の臣でない。」そして左手に法華経五の巻、右手に神器の剣を握って事切れたという。

52歳であった。さぞかし無念であられたことか?


その遺言に基づき、天子は通常南向に葬られる(「南面」、即ち天下を統治する事から)に拘らず、後醍醐の陵は北向に作られたという。巨星落つの知らせは各地を駆巡る。遠く常陸でこれを聞いた親房は、「かずかずめのまへなる心ちして老泪もかきあえねば、筆の跡さへとどこほりぬ。」(「神皇正統記」)と述懐。


足利尊氏は、天皇に弓を引いた逆賊としてその名を汚した。





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何故 宮司が「拉致問題」に熱心なのか?
 
 
今日も寒風の中から
 
車椅子の「リーさん」の励ましの声がする。
 
これは、内緒の話だが・・宮司は「韓国や朝鮮の人達」が好きなのです。
 
それは昔に会った「車椅子のリーさん」や金さんが大きく影響しています。
 
 りーさんは会うたびに言っていた。
 
「韓国人・北朝鮮人・・みんな悪くない・・悪い人は、どこの国にもいるね・・だから・・日本人偉くしたら駄目ね・・仲良くするあるね」・・・
 
宮司が拉致問題に関わっているのも、車椅子の「リーさん」がそうしなさいと叫んでいるからなのです!
 
「韓国・北朝鮮と日本は兄弟あるね・・・仲良くするあるね」とりーさんが天国から叫んでいる。
 
宮司は「世界はみんな家族」だという信念に動かされている
 
韓国人や朝鮮人が嫌いだから
 
拉致問題に取り組んでいるわけではない
 
むしろ韓国や北朝鮮が好きだからこそ
 
拉致問題に取り組んでいる
 
 
 
(忘れられないある思い出)
 
車椅子を飲んだ、リ-さんや金さんとの思い出!

宮司をする前は 私は警官でした。
 
そんなある日の出来事です。
 
ハンセン氏病で両足を失った、朝鮮人のり-さんが
 
大阪の西成萩の茶屋の公園にダンボールの中で住んでいました。
 
萩の茶屋商店街を、膝で歩いて
 
西成警察署まで来るのです・・・
 
すると・・・西成署の受付が大騒ぎになります。
 
玄関はリーさんの強烈な臭いが充満します
 
ウンコだらけの足を血だらけにしたリ-さんから人々は離れるのです。
 
当時、大阪府警の西成署にいた宮司をリ-さんは大好きだったのです。
 
署の受付の公かいで、
 
私は、肩を抱きウンコだらけの身体を、
 
温かいタオルで拭き
 
新しいパンツと半ズボンをはかせる。
 
「さとしゃん!ありがとうよ・・俺がハンセン病だからみんな逃げる・・でもさとシャン逃げない・・どうしてか?」
 
そうすると、
 
私は何時も答える「人間は死ぬ時は死ぬ!死なない時は死なない・・あなたを抱きしめて死んでも後悔しないから」
 
私は,リ-さんに聞く
 
「この前、区役所で貰ってあげたあの車椅子はどうしたの?」

り-さんは、照れながら
 
「エッへへ・・・車椅子を売って酒を飲んだ」・・・コマッタね」
 
私は少し声を荒げて
 
「あれ程まで苦労してもらってあげた車椅子飲んだらあかんやん」・・
 
しばらく沈黙。
 
リ-さんは言う二度と車椅子飲まないから・・
 
車椅子欲しい・・足痛いよ」・・
 
「もしもし、西成警察の佐藤ですが
車椅子をリ-さんに、何とかなりませんか?」
 
区役所職員「駄目です、これで三回目だから」・・
 
しばらくして三角公園でしょんぼりしているり-さんを見た・・
 
足から血が滲み、腫れている。
 
ああ、何とかしてあげねばと思い、車椅子の製造元の八尾に電話を入れ、
 
西成警察に車椅子一台の寄付を要請した。
 
快く承諾してもらい・・・それを、リ-さんに「西成警察署佐藤寄贈」と名入りで渡した・・・
 
さすがにこの「車椅子」は、飲まなかった。
 
り-さんは思うところがあり、金さんと二人で、駅周辺や地下鉄乗り場で古本を集めだした・・
 
以前のように飲んだくれていなかった。
 
り-さんは言った。
 
「このさとしゃんの大事な車椅子は、飲めませんよと」・・笑った。
 
その後、暴力団から暴力団担当の警官が賄賂を貰っていた事から暴動が起きた。

何日間も暴動が鎮まらないので・・・
 
署長の名代として、私は玄関で土下座して民衆に謝罪した
 
「今回のことは、間違いなく警察が誤っている、労働者諸君が怒るのは当然だ・・署長の代わりに私が謝る、どうか許して欲しい」
 
その時・・正直
 
石や角材が、飛んでくると覚悟した。
 
・・・だが、労働者の前に立ちはだかったのは、機動隊ではなかった。
 
あの両足のない朝鮮人のり-さんや金さんだった。
 
両手を広げ叫んでくれた・・・
 
「この警官に石を投げるな、この人は、命の恩人だから・・」と
 
何台もの車椅子の仲間が叫んでくれた。
 
そして西成暴動は鎮まった。
 
ありがとう・・私を命がけで護ってくれた・・車椅子・・・今でも忘れない「リ-さんや金さん」・・・・・

あれから今・・・宮司は、
 
拉致被害者を救うため立ち上がっている・・・リ-さん、金さんを思い出しながら・・・・拉致家族の泣き声を、聞きながら。涙をこらえて北朝鮮の人々を怨んではいない。

り-さんと金さんはお別れに来た「さとシャン〜古本売って少しお金できた・・今から、神戸の長田にいる知人と本屋をする、」と嬉しそうに言った。私は、車椅子に餞別と挙手の敬礼を贈った。

 その後元気だと便りをよこした・・・・・だが、・・・あの阪神淡路大震災で、長田近辺の公園で亡くなったと聞いた・・・その場所に花をたむけ・・
 
私は泣いた・・・国境の壁を越え、民族の壁を越えて
涙がとめどなく流れて止まらなかった。・・その年・・私は静かに大阪府警を退職した。
 
 
 
 

転載元転載元: 世界遺産の吉水神社から「ニコニコ顔で、命がけ!」


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