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百二十六年目の
鉄道記念日 (その一)
十月十四日は「鉄道記念日」である。二十数年前の「鉄道開通百周年記念」に発行された「汽笛一声」という本の年譜によると、 「汽笛一声鉄道の初め、明治五年九月十二日(太陽暦十月十四日)新橋・横浜間全通、両駅に明治天皇を迎え開通式を挙行。」と書いている。
それよりも四ヶ月前の五月七日(陰暦)品川・横浜間一日二往復で仮開業した。そこで品川駅前には「明治五年五月七日品川駅創業記念碑」という石碑が建っている。
汽笛一声新橋を 早わが汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として その初期の頃の光景を、広津柳浪は「女子参政蜃気楼」(明治二十年)という作品に次のように書いている。
「汽笛長鳴一道の黒煙を残して新橋を発しぬる。列車は、早くも品川の停車場に達しぬ。「駅丁、品川ァ・・・ 品川ァ・・・」。 中等車より一人の老人出で走りしのみ・・・。
ヒラリ、ヒラリと乗り込む者二、三人。その中に十八,九であろうか、よも廿年には上がるまじと見ゆる洋装の美人あり。 色クッキリと白き中に、何とのう紅色を帯びたる桃の花を吉野紙にて二重程包みたらん様なり、緑の烏髪は其色艶々しく、房々と束ねたるを細くして、美しき頭の傍りにわがねつ・・」。明治の文明開化の匂い漂うような文章である。
日本最初の汽車は 「陸蒸気」と呼ばれ 時速三十二㎞で品川 横浜間を走行したという いま、私は品川駅前に立ちて、百有余年の時の流れを経た現在平成の美少女は如何にと、暫し同所に佇みて周囲を観察すれば、秋涼の今日、キャミソール姿こそ見ないものの、緑の烏髪は短くカットされ、髪の毛は雷神のごとく四方八方に立ち乱れて、茶髪あり、銀髪あり、の色とりどり多種多様である。 そして、その装いのフアッションはと眺むれば、多国籍・宇宙フアッションとも評すべきスタイルである。さらに美少女の脚元はと見れば、ひっくり返りそうな例の踵は十センチの高いサンダルあり、ブーツありの春夏秋冬型で、その姿からは中学・高校生はたまた大学生かは判別し難い有様である。
私は品川駅前の碑の傍らに立ちて「鉄道記念日」に思いを馳せながら、「明治は遠くなりにけり」を実感した次第である。 完 |
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これは京浜東北と思って居たのですが東海道線なんです。横浜とは言っても現桜木町です。今とかかる時間は10分も違いません。駅ではありませんが停車場が鶴見なんですよ。荷物は別に料金を取って居ました。この話は状況が手に取るように分かります。ナイスポチします!
2016/10/18(火) 午後 8:15
トラックバック、ありがとうございます。
10月14日は、開業の日ではなく、開通式の日。
開業から4ヵ月遅れの式典だったんですね。
2016/10/18(火) 午後 8:19
> aki12mariさん、おはようございます。
ご訪問コメントありがとうございました。そうですか。「ヤマトタケルまほろば」のテーマの中で、こもよみこもちさんのトラックバックに入れたものが何故かここに入ってしまいました。アキさんにも関わる横浜の町の話題で現況が聞かれて良かったです。
ナイスポチに感謝です。
2016/10/19(水) 午前 10:18 [ らくがき楽ちん ]
> Komoyo Mikomotiさん、おはようございます。
ご訪問コメントありがとうございます。そうでしたか。新橋駅の敷地内に記念碑があって、10数年前の10月14日に現地で確認した想い出の記でした。この日には「鉄道記念日、10月14日」と記されてあったと思います。「開通式」と明記すべきでしょうね。情報に
感謝です。
2016/10/19(水) 午前 10:26 [ らくがき楽ちん ]