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みんなの正直な気持ちを聞きたいんだけど、最初に聞いた時に理由抜きで胡散臭く感じなかった
かな、例の原発安全神話。もっともらしい数字が並んでいて何となく煙に巻かれた感じはしたけれ
ども、危険から自分を守るために人間にそもそも生まれつき備わっている直観が、何となく腑に
落ちなくなかったか?原爆の親せきのようなものがそもそも何で安全なんだ。
私はそうだったね。ついでに言えば民主党のマニフェストも嘘っぽかったし、イエスが自分達一人
ひとりの罪の身代わりに死んだなどと言う大カルトも、マルクス主義の世界同時革命も、どんなに
イデオロギーを並び立てられても、というかイデオロギーを並びたてられれば並びたてられるほど
とうていますます信じられない。
今の科学技術は「直観を信じるな」と教える。「主観はたいてい気の迷いだ」とも。そしてこういう
教育を小学校の時から刷り込ませる。だから頭の良い人も悪い人も、ひたすら自分を否定して、
「客観」に生きようとする。だが果たして本当にそれでいいのだろうか。直観が納得しないものを イデオロギーで教条的に納得させる方が、むしろ非人間的なのではないのだろうか。 ここまで直観を否定する教育のおかげで、人は感性を磨くことを怠るようになり、その結果どんな
「大本営発表」を無邪気に信じるようになった。一種の為政者による愚民政策だ。そして原発安全
神話も大本営発表の一つならば、消防局の放水突撃隊を賛美するのも一種のご都合主義の神格
化作業、大本営の作為の面がある。これらの例に直観の重要さを取り戻せる者は幸いだ。
もちろん直観が絶対真だなんて言うつもりはない。気の迷いのこともしばしばある。それでもなお、
「胡散臭い物、直観の腑に落ちない物は一度は疑ってみろ」と言いたい。そしてその場合、 原発安全神話を例にとると、著作者と一緒になって個々の事象の確率や論理体系をチェックし てもネズミは出てこない。一緒にやる段階ですでに相手の土俵に乗っかっているからだ。
むしろ直観が発している警告は何か、それを深く瞑想しよう。分析行為でなくそう言う総合行為に
よってこそ、本当のウソが見抜ける。原発安全神話について言えば数値万能主義、つまりすべ
ては数字と確率で表現できると言う前提が間違っているのだ。この「信仰」はそもそも欧米の
キリスト教を起源とするもので、武士道を本懐とした昔の日本人ならだまされなかったものだ。
数字は便利だが、便利すぎて独り歩きする危険がある。我々日本人、あるいは東洋人は、数字に
できない物をこそ大切にしてきた。これからも大事にしよう。そして数字のマジック、うそを直感で
見抜けるように、感性を日々養おう。
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目に見えることは人間の力で改善できるが、目に見えないことを解決しなければ、それ以上の惨劇を繰返さなければならなくなる。 心は、人間の努力だけでは改善できない。
私たちが、今、しなければいけないことは、『救世主スバル元首様』に、救いを求めることだ。
もう、時間がない!!
http://www.kyuseishu.com/tanuma-tu-koku.html
http://miracle1.iza.ne.jp/blog/entry/2237566/
2011/4/14(木) 午後 10:42 [ ヒカル ]
皆さんどう思いますか?転載してみました。
2011/4/14(木) 午後 10:42