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どの程度史実を反映しているのかはっきりしたことはわからないが、
正史に記録されている渡来人で子孫の系譜が残されている
最古の人が天日槍だろう。
播磨風土記によると、
揖保川流域で葦原志挙乎命や伊和大神と領土争いの抗争を展開した後、
出石に定住し太耳の娘麻多鳥(またを)を娶り、
但馬諸助を生み、諸助以下の系譜が紹介されている。
谷川健一氏は朝鮮半島から来た天日槍が、
「ミミ」がつく太耳の娘と結ばれていることに注目している。
「ミミ」の名を有しているのは、
耳に大きな飾りをつけて耳たぶを大きく見せることを
権力の象徴にしていた人々、
彼らは「揚子江沿岸から海南島にいたる中国南部に住む海人族であり、
彼らは常時大きな耳輪を下げる風習をもっていた。」(「青銅の神の足跡」)
東シナ海を渡って渡来してきた人「ミミ」と
対馬海峡を渡って渡来してきた人が
日本列島で結びついて子孫を残したということになる。
谷川氏によると同様な例として、
素戔嗚尊が婚姻した出雲の須佐之八耳の娘の例を挙げている。
神武帝も三嶋溝橛耳の孫娘を正妃に迎えて、
神八井耳命と神渟名川耳命を生んでいる。
対馬海峡を渡ってきた人々と
東シナ海を渡ってきた人々が交わりあって
日本の歴史を作り始めたということは間違いないことだろう。
天日槍説話はその象徴でもあると思われる。
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天日槍・天之日矛
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中国の海人族も多くやって来てたのですね。驚きです。
出雲にもすでに住んでいたということですか。驚きその2です。
八耳の娘は、稲田姫とは別の女でしょうね。
天日槍、、これはもっと注目されるべき人物ですね。
古代史が、ひっくり返りそうです
2013/1/29(火) 午後 9:06
さんせいさん、こんばんは。
この記事を書いていて、
天日槍は素戔嗚尊だったのではないかと思ったりしました。
日本列島に文明をもたらした集団があり、
出雲では素戔嗚命になり、
播磨では天日槍になった、
と考えても良いのではないのか、
などと考えると頭がピーマンになります。(笑)
2013/1/29(火) 午後 9:15 [ 記紀いっぱつ ]
毎回興味深く拝読しております。
河内美努の須恵器職人のリーダーが陶津耳でした。
投馬国の大官も弥弥(ミミ?)を称していました。
今回耳にはそういう意味があると知り、驚きました。
2013/1/30(水) 午前 10:05 [ 末永能登守14611514 ]
末永能登守14611514 さん、こんにちは。
ほとんど谷川健一氏の受け売りですが、
この辺にも近畿天皇家の秘密を解くカギがありそうです。
2013/1/30(水) 午後 6:33 [ 記紀いっぱつ ]
天日槍の存在も、私を悩ませている存在の一つです。アシハラシコオが出てくるところから、その来日は神代(大和朝廷成立以前)だと思うのですが、天日槍とアカルヒメの関係が、イザナギとイザナミ、アマテラスとスサノオ、ヒミコとヒコミコ、延烏郎と細烏女、の関係と何だか似ているような気がして、ひょっとして同根異話で同一人物では?と思うこともあります。ニギハヤヒの神宝と天日槍の神宝の類似点も気になります。
2013/1/31(木) 午前 0:22 [ たくま ]
たくまさん、おはようございます。
確かに神宝は似ていますね。
ニギハヤヒもニニギもスサノオも同様に対馬海峡を渡ってきている。
記紀が時代を操作していることは間違いなさそうです。
古事記は「昔」と曖昧な言葉を使っています。
天日槍、天之日矛の名前からは銅鐸族を滅ぼした勢力ではないかとも思われます。
2013/1/31(木) 午前 5:05 [ 記紀いっぱつ ]