のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

天日槍・天之日矛

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田道間守

天日槍の説話は田道間守説話につながっている。
田道間守は垂仁帝の命令で常世国に、
「非時の香菓(ときじくのかくのみ)」を取りに行く。
しかし持ち帰る前に垂仁帝は崩御してしまう。
垂仁帝の病をいやす目的を果たすことができなかったことを苦にして、
垂仁帝の陵の前で田道間守は自害して果てる。
子孫である田道間守が天皇家の忠実な家臣となったことで
天日槍の物語は結ばれている。
大軍を率いて渡来し、文明と争乱をもたらし、
最終的には天皇家の家臣としてのポジションを得たことになる。
古事記の系譜によると田道間守は
息長帯比売命(神功皇后)の母親葛城之高額比売命の伯父に当たっている。
また田道間守は三宅氏、糸井氏の始祖と言われている。
天日槍は円山川の河口を切り開いて灌漑をおこない
耕作地を広げた功績が語られている。
その子孫に三宅氏がいる。
三宅氏の「三宅」は「屯倉」で天皇直轄の耕作地につながっている。
天日槍は国土開発に貢献し、天皇家の忠実な家臣となり、
外戚ともなったということで、
後の蘇我氏や藤原氏の立場を連想させられると言えないこともない。

閉じる コメント(11)

こんばんは。

ハイテク群団、天日槍の登場とのちの行動を考えると、、いろんな想像が湧いてきました、、。この一群は、、これはもしかしたら、、

古事記も、このことをいかに上手く取り繕うか、苦労したのかも知れませんね。
スサノオ、、その通りかも、神話の辻褄が合う気がします。
スサノオを祀る神社、伝承が全国にとても多いですね。
オオクニにも繋がる推理はありませんでしょうか💦

2013/1/30(水) 午後 10:00 さんせい

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さんせいさん、おはようございます。
記紀は神代以降あらゆる勢力は天孫族の配下にいたことにしています。
おっしゃる通り、全国にスサノオを祀る神社が多いのは、
スサノオが全国に勢力を及ぼした時代があったことを
表しているのかもしれませんね。
大国主命は徐福につながる中国系のイメージがあるのですが・・・。
銅鐸を埋めたのは大国主命たちだったのではないかと???
ついでながら東日本に痕跡をとどめている
アラハバキ神も気になっていますが、キリがありません。(笑)

2013/1/31(木) 午前 5:22 [ 記紀いっぱつ ]

こんにちは。

私も銅鐸は大国主の神器だと思ってます
大和の大国主はナガスネヒコではないでしょうか。

2013/2/1(金) 午後 2:17 [ たくま ]

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たくまさん、こんにちは。
大国主命、長髄彦が銅鐸民族の可能性が高いと思いますが、
なぜ記紀に銅鐸の記事が登場しないのでしょうか。
記紀が多少の伝承に基づいているのであらば、
「銅鐸を鳴らしていた」くらいの記事が出てきても良いのではないか、
と思うのですが・・・。

2013/2/1(金) 午後 3:57 [ 記紀いっぱつ ]

記紀の編者が銅鐸のことを知らなかったはずはないと思います。(世界大戦のときアメリカが日本の文化や宗教を熟知していたように)また神武との戦いの後、敗れて、神武に従った長髄彦側の人間も少なからずいたはずですから、銅鐸の存在を知らないはずがないと思います。戦後アメリカが日本の文化を壊そうとしたように、銅鐸の存在も抹殺されたんじゃないでしょうか。

2013/2/1(金) 午後 5:27 [ たくま ]

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たくまさん、続日本紀に次のような記述があります。
元明天皇和銅六年七月、
「大倭国宇陀郡波坂郷の人、大初位上村君東人、
銅鐸を長岡野の地に得て献る。
高さ三尺、口径一尺。
その制、常に異にして、音、律呂に協ふ。」
「その制、常に異にして」をそんなの見たことがないととると、
8世紀にはもう忘れられていたのかもしれません。
編者がしらばっくれていた可能性もありますが・・・。

2013/2/1(金) 午後 5:52 [ 記紀いっぱつ ]

8世紀には、かつて銅鐸信仰を持っていた「元ナガスネヒコ勢力」は、大和の政治・経済・宗教の表舞台から居なくなってしまったと考えられます。さらに銅鐸が消えた原因のひとつとして考えられるのは、銅鐸信仰よりも大和朝廷の信仰(鏡、剣、玉、前方後円墳)のほうがはるかに魅力的だったのだと思います。実際、前方後円墳はすごい勢いで全国に広がって行きますから。まるで世界大戦後の西洋文明の流行のように。さらにもうひとつ、銅鐸信仰にはニギハヤヒも一枚かんでいたのではないかと思います。ニギハヤヒは神武と同じ「剣・玉・鏡」信仰を持っていたが、義父であるナガスネヒコの銅鐸信仰を擁護していたと思います。ニギハヤヒが銅鐸信仰を捨て神武側に付いたことで、銅鐸の消滅に拍車がかかったと考えます。そして誰も知らなくなった。記紀の編者もしらばっくれた

2013/2/2(土) 午前 0:01 [ たくま ]

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たくまさん、おはようございます。
確かに銅鐸が埋められていたのは宗教的な意味があったからかもしれません。
数年前、アラハバキ神を調べに神社まわりをした時に感じたことは、
「アラハバキ」という言葉がタブー視されている地域があったことです。
宗教的なことは体制が変わるとタブーになる。
キリスト教弾圧の時の十字架やマリア像も同じだったと思います。
おっしゃるように鏡、剣、玉に替えられたのかもしれません。
そういえば三種の神器は天日槍が持ってきた八種の宝物に含まれていますね。

2013/2/2(土) 午前 5:10 [ 記紀いっぱつ ]

こんばんは。

以前テレビの番組で、どこかの霊山の修験者が小銅鐸とそっくりなものを、杖にたくさん着けて、カランカラン鳴らしながら山に登っているのを見て、驚いたことがあります。多分東北の山だったと思います。その「小銅鐸とそっくりなもの」についての説明はテレビではされませんでしたが、あれはどう見ても小銅鐸でした。消滅したと思われていた銅鐸が、こういう形で生き残り伝えられてきたのかな?と思いました。またある研究者は、銅鐸は消滅したのではなく、寺に置かれている「鐘」に形をかえたのだ、と解釈しているそうです。銅鐸の謎、いつまで語り合っても答えが見つかりそうにありませんね〜だから古代史は面白いんでしょうけど。

2013/2/3(日) 午後 9:14 [ たくま ]

あ〜書き忘れていました。

「アラハバキ神」の記事、期待しています

2013/2/3(日) 午後 9:31 [ たくま ]

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たくまさん、おはようございます。
「アラハバキ神」、興味は尽きないのですがなかなかつながりません。
「東日流三郡誌」にはよくでてきているようです。
その所為か、地元のマスコミが躍起になって、
偽書として葬り去ろうとしているようです。
東北地方や新潟県に今でも残る古四王(越王)神社が
アラハバキ神を祀っていたのではないかと思われます。
先週までNHKでやっていたアテルイ達も
アラハバキ神を信仰していたのではないでしょうか。

2013/2/4(月) 午前 10:21 [ 記紀いっぱつ ]


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