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吉野を出て二日目となっても、大海人皇子軍の強行軍は続く。
莿萩野(たらの)で食事をとった後、
さらに現在の国道25号線を東北東に8km程進み
積殖山口(つむゑのやまぐち)に到着した。
ここで甲賀方面から来た高市皇子一行と合流することができた。
高市皇子は近江宮を抜け出して草津経由で
現在のJR草津線が通っているルートでやってきたものと考えられる。
徐々に数を増した一軍は加太越え(伊勢大山、鈴鹿山地)で伊勢の鈴鹿に到った。
ここまでで吉野から約100km。
ここで伊勢国の国司守や湯沐令の一群と合流、
五百軍となって鈴鹿山道を越えて、
20km先の川曲の坂下(伊勢国河曲郡、鈴鹿市山辺付近)到着。
ここで二日目の日が暮れてた。
菟野皇女が疲労の色が濃いので休息をとろうとしたが、
突然の雷雨となり寒くて耐えられなくなったので、
さらに4km進んで三重郡家(四日市市采女町)まで行き、
家を一軒燃やして暖をとった。
吉野から124km。
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壬申の乱
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