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【北史に倣った遷都の前兆としての「鼠」】
日本書紀の記述の中から、「鼠」が出てくる部分を抜き出して検討を加えた。
「鼠」という言葉自体は、中国の北史の中に遷都の前兆として使われていることに倣って、日本書紀でも遷都の記事と関連させて使用している。
【天武紀の副都構想】
天武紀十二年十二月十七日条に副都構想が出ている。
「凡そ都城、宮室、一處に非ず、必ず両参造らむ。」
これは唐が長安の他に洛陽を副都としていたことを天武朝でも取り入れようとしたことだと解釈されている。
この直後に、「まず難波に都造らむと思う。」と続く。
しかし難波には孝徳帝の宮室が残されているはず。
日本書紀の補注は、天武期に改造した難波宮が朱鳥元年正月に焼失したと解釈して、発掘された難波宮の考古学的調査見解とつじつまを合わせている。
【「鼠」が向かった遷都先は?】
大化年代以降の「鼠」の予兆行動で遷都する場所として登場するのは、
「難波」、
「越国の東=信濃」、
「倭都」、
「近江」である。
飛鳥浄御原宮にいる天武帝が副都とするには、信濃以外は近すぎて副都の意味がない。
新羅との親密な関係にある天武帝にとって信州に遷都することもそれほど必要なこととは思えない。
信州は海岸線から遠く、唐や新羅の攻撃を考えると、防衛的な点で副都としての存在価値が出てくるのではないか。
天武朝の時代はそれほどのひっ迫感はない。
【「鼠」の予兆は九州王朝の副都構想】
天武紀十二年の副都構想は、白村江の戦前の緊迫した東アジア情勢の中で倭国防衛のために、九州王朝で検討されて実行されたことではないだろうか。
大化紀以降「鼠」の予兆行動で記されている遷都は、九州王朝を「鼠」と蔑んで日本書紀内に挿入したものだろう。
時間の流れをさかさまにして挿入するやり方は、景行紀などにも見られる日本書紀編纂者の常套手段である。
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「鼠」考
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