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【倭国の盟主「邪馬壹国」】
「魏志倭人伝」(正式には「魏志東夷伝・倭人条」、以下「倭人伝」)で考える時、卑弥呼の居住する場所は「邪馬壹国」にある。
邪馬壹国は倭国の盟主の国である。
倭国は30国ほどの国で構成されており、その中の代表国が邪馬壹国である。
【魏の使いは卑弥呼に会っている】
「倭人伝」では卑弥呼の使いが魏の都洛陽まで行っている。
魏からも帯方郡の太守が倭国に来て倭王(卑弥呼)と会っている。
「倭人伝」の「邪馬壹国」までの行程は、帯方郡を基点としているので、正始元年(240年)の帯方郡太守の邪馬壹国訪問の時の情報を使用しているものと考えられる。
「倭人伝」は倭人からの聞き取りだけで記述されたものではない。
【「邪馬壹国」はどこか】
「邪馬壹国」がどこにあったか、明治時代以来古代史学界を二分しているテーマである。
「倭人伝」によると、帯方郡の太守一行は「詔書・印綬を奉じて、ー 中略 ー、金帛・錦罽(きんけい)・刀・鏡・采物」を持参していたという。
彼らは対馬、壱岐を経て末盧国(唐津のあたり)に上陸した。
上陸後、伊都国などを経て邪馬壹国に至ったことになっている。
さらっと読むと邪馬壹国は九州のどこかだろうと思う。
邪馬壹国近畿説の人はなぜそれを近畿にあったと主張するのか。
「倭人伝」に、邪馬壹国に至る前、不弥国の後に、「南至投馬国水行二十日」とあり、
その後に「南邪馬壹国」と出てくる箇所を、瀬戸内海を通って20日間で投馬国に着いて、投馬国の南に邪馬壹国があるので、邪馬壹国は近畿大和にあるのだと言っているらしい。
【「混一疆理歴代国都之図」】
九州から南へ水行しても近畿には行かないが、近畿説の論者は15世紀に朝鮮で作成された世界地図「混一疆理歴代国都之図」を持ち出す。
その地図によると、日本列島は九州を最北端にして南側に伸びている。
だから南に水行二十日で近畿地方に到着してもおかしくないという。
【魏の使いはなぜ九州に上陸したか】
たくさんの荷物を持った一行が近畿大和へ行く時に、一度九州に上陸して北部九州を陸路横切り、再度船に乗船して瀬戸内海航路に出る。
こんな航路を取るだろうか。
港で休んで船でまた出かけるのが普通ではないだろうか。
【傍線行程】
ちなみに不弥国から「南至投馬国水行二十日」は、不弥国から南に水行すれば20日間で投馬国へ着くことができる、
ということを述べた傍線行程。(古田武彦説)
邪馬壹国近畿説が、15世紀の日本列島に関しては不正確な地図を引っ張り出して成立していることに少々驚いてしまった。
倭人伝は実際に邪馬壹国までやってきた人の情報で書かれているので、
彼らは方位を間違えるなどということはありえないだろう。
【邪馬壹国は九州内にあった】
倭人伝には、
「女王国東渡海千余里復有国皆倭種
(女王国の東、海を渡る千余里、また国あり、皆倭種なり。)」
と記述されている。
このような場所は日本には九州以外ない。
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邪馬壹国
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近畿説を言い張る学者は、当時の使節を再現して、同様と思われるインフラで、証明するべきです。
2013/9/5(木) 午後 6:44
(^。^)
花束も
拍手👏 でナイス。
2013/9/5(木) 午後 7:58
九州で間違いないと思います♪
2013/9/5(木) 午後 11:50 [ 百合 ]
15世紀の朝鮮の地図は、朝鮮を中心に、どのくらいの距離があるかを、方角を無視して作成されたように見えます。
それにしても3世紀の時代考証に15世紀のあやふやな地図を持ち出すとは、時代錯誤も
甚だしいですね。
近畿大和王朝と邪馬壹国を万世一系的に結び付けたい思惑がこうしたおかしな考証になるのでしょうか。
2013/9/6(金) 午前 2:36 [ 末永能登守14611514 ]
Miraさん、おはようございます。
おっしゃるとおりですね。
8世紀の遣唐使が九州だけ陸路を使ったなんて話は聞いたことがありません。
魏の使いも同じことだと思います。
近畿に行くのに唐津で陸揚げするのは不自然です。
2013/9/6(金) 午前 6:40 [ 記紀いっぱつ ]
さんせいさん、おはようございます。
今回は最後が断定的な書き方になってしまいました。
少し反省しています。(笑)
2013/9/6(金) 午前 6:43 [ 記紀いっぱつ ]
百合さん、おはようございます。
近畿説の学者も、半分くらいは内心では九州説に傾いていると思いますよ。
門脇禎二氏は最後の論文で「九州説に転向」宣言をしています。
九州説だと学位を取りにくいのかもしれませんね。(笑)
2013/9/6(金) 午前 6:47 [ 記紀いっぱつ ]
末永能登守14611514さん、おはようございます。
学者が恣意的に捻じ曲げた解釈をしようとしているので、
古代史は素人の入り込む余地があるのだと思います。
先入観なしに倭人伝を読めば、近畿に行き着くはずがありません。
最初から「ヤマタイコク」は「ヤマト」と決めて読んでいる、
江戸時代(松下見林)以来の伝統のようです。
2013/9/6(金) 午前 6:55 [ 記紀いっぱつ ]
おはようございます。
ナイス
私も邪馬台国は九州にあったと考えています
2013/9/6(金) 午前 7:23 [ たくま ]
たくまさん、おはようございます。
近畿説は古代史や考古学の専門家が多く、
民間の愛好家は九州説が多いようです。
マスコミは専門家に取材するので、近畿説が主流のように報道されています。
2013/9/6(金) 午前 11:14 [ 記紀いっぱつ ]
お偉い学者様より、素人の直観のほうが当たっているような気がします
2013/9/7(土) 午前 0:12 [ たくま ]
いっぱつさん、相変わらず精力的ですね。
「丗有王、皆統屬女王國」伊都国と卑弥呼は、そう遠く離れてはいけないでしょう。長年従属してきた間柄ですからね。
2013/9/7(土) 午前 1:07 [ はぎのお ]
たくまさん、そうですよね。
素人は、とらわれるものも失うものもない、
史実が知りたいだけですからね。
無心の直観は強いです。
2013/9/7(土) 午前 5:44 [ 記紀いっぱつ ]
はぎのおさん、一行は大切ですね。
確かに、伊都国が近畿大和にいる卑弥呼に世々従うというのは
いかがなものかと思います。
2013/9/7(土) 午前 5:48 [ 記紀いっぱつ ]