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福井県越前市には世阿弥作「花筐」を観光資源にしている場所がある。
岡太(おかふと)神社(粟田部町)には記念碑があり、
神社の周辺は「花筐公園」という名の公園になっている。
味真野神社(池泉町)には記念像がある。
味真野神社「花がたみ―継体大王物語」
【味真野神社内「継体天皇と照日の前の像」】
記念像の横には以下のような文面の案内板が置かれている。
「継体天皇と照日の前の像である。
室町時代の世阿弥が作った謡曲「花筐」には
二人の美しいロマンスが語られている。
越前国味真野におられた男大迹皇子はにわかに皇位につくことになり、
寵愛する照日の前に花筐と玉章を贈って上京し継体天皇となられた。
残された彼女は皇子恋しさのあまり、花かごと御手紙を持って、
大和の玉穂の都へと上り紅葉狩りの行幸に遇う。
そこで花筐が縁で再び天皇の愛を回復したという。
世阿弥には巷間に取材した曲があるが、
この「花筐」も当時味真野に伝えられていた
継体大王伝説をもとに創作されたものであろう。
今新しい世紀を迎えるに当たり継体大王伝説を伝えてきた先人の心を大切にし、
ここに「花がたみ」の像をつくり永く後世に伝えるものである。
平成十三年五月吉日」
【現地伝承はこうして作られる】
この説明文の中に、
「当時味真野に伝えられていた継体大王伝説をもとに創作されたものであろう。」
とある。
「花筐」が世阿弥の作であるかどうかは議論が分かれるところであろうが、
ここでは論じない。
福井県に伝わる継体帝に関する説話は、
「花筐」のように作成されてきたと考えることができるのではないだろうか。
現地で伝承されてきた地元豪族の物語の主人公を継体帝に置き換える、
単純な作業をすることによって地方譚が中央でも通用する説話に変化する。
「花筐」の説明文にかたられる世阿弥の手法は、
継体帝説話の出来上がり方を象徴しているように思える。
したがってこれらの説話は全て造作物なわけではなく、
置き換えられた「継体帝」を除けば、
該当する地域の史実を伝えている可能性があるので、
貴重な伝承であることには変わりない。
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心して拝読致しました・・頓首。
2014/5/21(水) 午前 11:45 [ {^美м楽^} ]
{^美м楽^}さん、こんにちは。
ありがたきコメントありがとうございます。
こちらこそ、頓首。
2014/5/21(水) 午前 11:55 [ 記紀いっぱつ ]
(^。^) こんばんは。
このシリーズ、読んでいますと、出雲族の子孫などが浮かんできます。
贔屓目かもしれませんが、、期待感といいますか。
もういちど、こちらの出雲と北陸のつながりを調べ直してみます。
継体帝あたりから、大和朝廷への血脈が出来たということですね。
もちろん、つながりは息長氏を除けては考えられませんけど。
2014/5/22(木) 午後 8:01
さんせいさん、こんばんは。
滋賀県にも、福井県にも素戔嗚尊、大己貴命、少彦名命を祭神とする神社がたくさんあります。
いつも出雲の影を感じているのですが、私自身の知識不足のため、結びつきません。
どこかでつながるはずなのですが、・・・。
時間と空間がまだかみあってきません。
古墳時代より前の事なのかもしれません。
2014/5/22(木) 午後 10:35 [ 記紀いっぱつ ]
去年のこの段階で、ぼくは水谷君(大学の後輩なので君と呼びますが)の「継体天皇と・・・」をおざなりに読んでいました。花筐のエピソードも今回再読して発見し記事にしたところです。
花筐の悲恋は記事にも書きましたが、あそこには中臣某の伝説があったからだと考えたわけです。ぼくにはあの味真野に継体伝承があったとは考えにくい気がします。もうちょっと検証してみる価値があるでしょね。あの地域は。
2015/2/27(金) 午前 8:50 [ Kawakatu ]
> Kawakatuさん
現地でも、継体天皇伝承は日本書紀記事にもとづく後付けだという認識が強いようです。
「中臣某の伝説があった」と考えた方が辻褄が合いそうですね。
2015/2/27(金) 午後 1:33 [ 記紀いっぱつ ]