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【九頭竜川沿岸の古墳群】
福井県坂井市周辺には九頭竜川沿いの右岸左岸の丘陵に、
丸岡古墳群、松岡古墳群が確認されている。
発掘調査によって、
4世紀中葉の建造とされる手繰ヶ城山(てぐりがじょうやま)古墳:
全長129mの前方後円墳、
4世紀後葉から5世紀初めにかけて六呂瀬山1号墳:全長140m・3号墳:全長90m、
5世紀には日本海岸沿いに降りて免鳥5号墳、
九頭竜川にもどって泰遠寺山(たいおんじやま)古墳:
全長64mの帆立貝形前方後円墳、
石舟山古墳:全長79mの前方後円墳、
二本松山古墳:全長89mの前方後円墳と続き、
150年間にわたって少なくとも7代の大首長が継続していたと考えられている。
【横山古墳群】
6世紀になると丸岡町の横山丘陵に、
周濠・段築・葺石・埴輪を備えた本格的な首長墓である、
椀貸山古墳や神奈備山古墳など多数の古墳を有する横山古墳群が築造される。
古墳に名前が書いてあるわけではないので確証があるわけではないが、
天武八姓で「真人」となった三国公氏の祖先と考えるのが順当のようだ。
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三国公という呼称は『日本書記』のレトリックでしょうが、大元は三尾ですね。継体大王の母方ということでのちに三国を名乗っています。4世紀が季節はずれのもみじになってますよん。
2014/5/23(金) 午後 5:55 [ - ]
kawakatuさん、紅葉、ご指摘ありがとうございます。
三国氏と三尾氏が同根と考えるとすっきりはします。
天武以降「三国」に統一したのでしょうか。
2014/5/23(金) 午後 6:49 [ 記紀いっぱつ ]
森浩一氏の受け売りです。九頭竜川流域はもともと三尾氏の出身地ですからね。そこにある時代に三国という地名がついたと。
2014/5/24(土) 午後 10:52 [ Kawakatu ]
「尾」が鉱山職人を指すのを嫌ったのかも知れません。
2014/5/24(土) 午後 10:53 [ Kawakatu ]
kawakatuさん、いろいろありがとうございます。
三尾氏→三国氏と考えるとすっきりするのですが、
琵琶湖西岸の高島辺りまで征服していたのでしょうか。
となると、大三国王朝が存在したことになります。
九頭竜川→琵琶湖がワープしている(?)のが不可解です。
「尾」、鉱山職人のことを指すのですか?
九頭竜川周辺の古墳から尾張氏と関連がみられる埴輪が多数出ているとか。
「尾」つながり、ですね。
2014/5/25(日) 午前 5:43 [ 記紀いっぱつ ]
高島に水尾地名があり水尾神社がありますが「みお」と読みます。
また大津市の東側の三上山、甲山古墳も三尾氏関係ではないかとにらんでおります。ここは阿蘇のピンク石石棺が来ています。
2014/5/25(日) 午後 1:22 [ Kawakatu ]
ぼくは安曇川地名は、三尾氏が日本海福井からやってきたときに安曇の水軍を使ったと見ております。
2014/5/25(日) 午後 1:24 [ Kawakatu ]
阿蘇ピンク石石棺は安曇水軍の影響ですか。
福井各地の古墳からも出ているようです。
2014/5/25(日) 午後 4:46 [ 記紀いっぱつ ]
情報ありがとうございます。
私は今年の夏、福井県に行こうと思っていまして、福井県に興味をもっています。
福井県に近い、石川県の、小松空港に近い白山神社にも興味をもっています。
2014/5/27(火) 午前 2:40 [ カール(カヲル32) ]
フィレンツェあたりでは、ピンクの大理石がとれますが、
日本にもピンクの石がとれるところがあるのですね。
2014/5/27(火) 午前 2:44 [ カール(カヲル32) ]
カヲル32さん、おはようございます。
福井県北部地域は「継体天皇」を観光資源として前面に出しているようです。
私も継体説話ゆかりの地を訪ねたのですが、
神社は出雲との関わりが強く、
古墳は北九州の影響が大きい、
ということを知り、
継体抜き、で越前国をとらえなおした方がおもしろそうだと感じています。
2014/5/27(火) 午前 4:46 [ 記紀いっぱつ ]
分布図があるといいですね。確か森さんの本にあったなあ・・・
こんなのがありました。
http://pentacross.seesaa.net/article/391806894.html
2014/5/28(水) 午後 6:29 [ Kawakatu ]
kawakatuさん、
いき氏の「文身国福井説」、おもしろいですね。
大型古墳の分布、王朝多元説でないと説明できないと思います。
何でも「大和の支配下にあった」という結論ありきのやり方は変えてほしいものです。
2014/5/29(木) 午前 5:57 [ 記紀いっぱつ ]