のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

押坂彦人大兄皇子

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【彦人大兄皇子は排仏派天皇の後継者】
彦人大兄皇子は敏達帝の始めの皇后広姫所生で、
日本書紀には敏達四年正月では「押坂彦人大兄皇子」、
古事記には「忍坂日子人太子」、
用明紀二年四月条には「太子彦人皇子」とある。
記紀はどちらも敏達帝の皇位後継者であると記述している。
敏達帝は敏達紀冒頭の文章で、
「天皇不信仏法」と紹介されている。
欽明紀に百済から公伝された仏教を
受け入れない立場をとったことを特徴としている天皇である。

【崇仏派として描かれた彦人大兄皇子】
仏教を受け入れない立場の天皇の後継者である彦人大兄皇子が、
日本書紀では用明二年四月条に、
「排仏派」の中臣勝海に命を狙われる対象として登場する。
もし彦人大兄皇子が「崇仏派」の立場をとるならば、
それなりの経緯が記述されていなければ筋が通らない。
いつの間にか「崇仏派」に変更したことになっているのである。
「そういうことはよくあったのだろう」という理解はは学問的といえないだろう。
仏教を受け入れるかどうかは、
欽明期から推古期にかけて最も重要なテーマである。
彦人大兄皇子殺害に失敗した「排仏派」急先鋒の中臣勝海が、
直後に「崇仏派」に寝返って彦人大兄邸を訪問している。
この段階で彦人大兄皇子も中臣勝海も「崇仏派」になっているというのが、
日本書紀の立場なのである。

【「今の天皇家は代々崇仏派」が日本書紀の立場】
息長氏の祖先である彦人大兄皇子と
藤原氏の祖先である中臣勝海が、
「崇仏派」でなければ日本書紀編纂者には都合が悪い、
仏教興隆を国是としている唐に対して新興の日本国は
「親仏教」の立場をとらなければならなかったのである。
日本書紀編纂者が行った史実改竄の様子がよくわかる説話となっている。

閉じる コメント(2)

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敏達天皇の次の用命天皇は、“篤く三法を敬え”と、遺言したという記述もあり、崇仏派です。
欽明〜敏達〜用命〜崇峻〜推古〜・・・、仏教公伝の記事以降は、崇仏派と排仏派の天皇が交互に即位しています。
こういう処は、私は、後の武士の世では、平氏と源氏とが交互に天下を治めた、というのに似ていると思います。
二つの相反する勢力が交替しながら国の覇者となるという、そういう風に、歴史を整えて、書記は記録をしているのではないでしょうか。

2015/3/13(金) 午後 6:20 五節句

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> 五節句さん、こんばんは。

バランスをとる必要があったのでしょうか。
神社も大切ですからね。
崇峻帝は物部守屋討伐軍に加わっていながら、馬子に嫌われてしまうのですね。

2015/3/13(金) 午後 7:19 [ 記紀いっぱつ ]


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