|
【舒明帝の誕生】
彦人大兄皇子と聖徳太子、ふたりの太子(ひつぎのみこ)の息子、
田村皇子と山背大兄皇子による皇位継承争いは、
田村皇子が即位して舒明帝となりひとまず決着した。
【印象が薄い舒明帝】
大げさな皇位継承争いを演じて皇位に就いたにもかかわらず、
日本書紀は舒明帝の事績を多く語っていない。
「息長」の名前を持つ最初の天皇として描かれているにもかかわらず印象が薄い。
【「舒明」の意味は?】
遠山美都男に「名前でよむ天皇の歴史」という新刊がある。
歴代天皇の漢風諡号からその天皇の事績や性格をとらえようとする
ユニークな試みである。
「舒明帝」の項目を見てみよう。
まず、「息長足日広額」(舒明帝の和風諡号)を解説している。
「息長足日広額は、『息長氏がお育て申し上げた額の広い聡明なお方』
の意味であり、 ―中略― 、
この天皇は、天皇の支配が空間的に無限におよぶことを象徴した
八角形墳(奈良県桜井市の段ノ塚古墳)に葬られた最初の天皇であったが、
和風諡号はそれに相応しい荘重なものといえよう。」と述べている。
漢風諡号の「舒明」については、
「漢風諡号の舒明の典拠について、
鴎外の『帝諡考』は『淮南子』第一、原道編の一節、
『これを舒ぶれば六合を幎い、これを巻けば一握りにもみたず。
約やかにして而も能く張り、幽くして而も能く明らかに・・・』を引いている」
と紹介した後、
「舒明とは『のべあきらかにすること』であり、 ―中略― 、
『おもむろに君主としての聡明さが明らかになる』の謂いかと見られる。」
と述べている。
漢和辞典を見ると、
「舒」には「のべる、のびる」の他に、
「ゆるやか、ゆるい、おそい、のろい」や「しずか、おだやか、みやびやか」
の意味がある。
日本書紀の記述を読むと、
舒明帝は飢饉の時に何か月も温泉に出かけたりしているので、
後者の意味合いが含まれているかもしれない。
|
舒明王朝
[ リスト ]




