|
【倭国と韓半島】
『三国志・魏志』東夷伝)によると、倭国は帯方郡(韓半島中西部)の東南に位置して「大海之中依山嶋為国邑」と表現される国であった。
つづいて「到其北岸狗邪韓国」とあり「其」は倭国のことを指しているので、韓半島の南岸にある「狗邪韓国」は倭国の北岸であったと記されている。(あくまでも古代の話であって現代の日韓問題とは無関係である。念のため!)
さらに、対馬国と一大国(壱岐)の人々は船に乗って「南北市糴」していると記されており、両島の住民によって半島と日本列島の間の情報交換が行われていたことが確認できる。すでにかなりの乗船技術が確立していて、頻繁に船による往来が行われていたと考えられる。
日本海は冬の荒波が有名だが、春から秋にかけては内海らしくおだやかなで航海に適した状態であることが多い。
大陸から日本列島への渡来は大陸や半島において戦乱などが起こった有事の時に緊急避難したと考えられがちだが、波風の穏やかな季節であればさほどの危険に遭遇することなしに到達することができるのである。
日常的に「南北市糴」している人に導かれればより安全に渡海して日本列島に着岸することができたであろう。
【倭国と百済、新羅の関係】
日本書紀には神功皇后紀以降欽明紀に至るまで、百済三書(百済記、百済新撰、百済本記)の引用記事が多く記載されて倭国と百済の親密な関係が描かれている。
新羅は百済や倭国領の任那に侵攻を繰り返したり、百済から倭国への使者を妨害して貢物を横取りしたりする敵国として登場することが多い。
天武紀下巻で新羅との友好的な関係が繰り返し描かれているのは日本書紀においては例外的であるともいえる。
古事記には応神記に新羅王子天之日矛来朝説話が記載され、神功皇后(息長帯比売)の母葛城高額比売は日矛の子孫であると明記されている。日本書紀は神功皇后と天之日矛の関係には触れていない。
中国史書や日本書紀の記述を見てみると、倭国は魏、西晋、宋などの中国南朝と韓半島では百済との関係が親密である。
8世紀になって日本国は唐へ急速に接近し先進文明の吸収に努めるようになる。
【マクロ的な仮説】
私は、日本書紀に引用された百済三書などの記載から東アジアにおいて倭国と百済が同盟関係にあって中国歴代王朝や高句麗、新羅と向き合い、8世紀になってからも百済の王族(百済滅亡後渡来してきた)の子孫を大和朝廷内で重用していることを重視しなければならないと考えている。
先述したように新羅と親密な関係にあった天武期は異例であって、それ以前もそれ以降も(倭国時代も日本国になってからも)百済との人的な関係は維持されているのである。
壬申の乱で近江朝を滅ぼした天武朝だけが異質で、倭国時代も近江朝も日本を建国した大和朝廷も、百済との歴史的な関係の中で成立していること=「倭国と天武朝以外の日本国は同根」を仮説命題として少しずつ論証していこうと思う。
|
全体表示
[ リスト ]





(^^♪
本年もよろしくお願いします。
朝鮮半島の歴史は意外と難しいですね。
百済とか伽耶など日本のとの関係を詳しく知りたいですね。
2019/1/5(土) 午後 6:44
あけましておめでとうございます。
日本書紀と古事記では百済や新羅の扱いが微妙に変わるのはなぜでしょう。
渡来系の豪族と当時の外交の関係は興味の尽きないところです。
2019/1/5(土) 午後 6:59
> さんせいさん、今年もよろしくお付き合いください。
各地方で100年後とのサンプルでDNA鑑定をすることができれば大陸からの渡来の実態がはっきりするのではないでしょうか。
想像以上に密接な関係があったのではないかと感じています。
2019/1/5(土) 午後 9:08 [ 記紀いっぱつ ]
> アーデルハイドさん、新年あけましておめでとうございます。
日本書紀が百済よりなのに対して、古事記では天日矛説話や允恭記などに見られるように概して新羅に好意的です。
日本書紀の編纂者が百済三書を取りこんでしまったためにややこしくなっているのではないでしょうか。
2019/1/5(土) 午後 9:16 [ 記紀いっぱつ ]