のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

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応神紀二十二年条に、
応神帝が吉備臣一族に吉備国を封じて与える説話が出てくる。
応神帝の時代から、
吉備国一帯は近畿天皇家の支配下にあったことを
示すために記されたのだろう。
うがった見方をすれば、
日本書紀の場合大概はうがった見方の方が筋が通ることが多いのだが、
吉備国は近畿天皇家と対等あるいは
それ以上の存在だったということを示している。
古墳時代を前後して一大勢力だった吉備国とは
いったいどんな国だったのだろうか、
記紀の記述をもう一度確認してみようと思う。
日本書紀に吉備が出てくるのは、
おそらく素戔嗚尊の大蛇退治の物語が最初だろう。
大蛇退治説話は本文の他に六つの一書が記されている。
神代における重要な説話の一つとして扱われている。
六つの一書の一つ第三の一書に吉備が出てくる。
第三の一書は奇稲田媛との結婚を申し出た素戔嗚尊に
両親の脚摩乳、手摩乳は大蛇退治を依頼する。
素戔嗚尊は毒酒を醸造して大蛇に飲ませて眠らせる。
眠った大蛇を「韓鋤の剣(からさひのつるぎ)」で頭と腹を斬る。
腹から「草薙剣」が出てくる。
草薙剣は昔は素戔嗚尊のところにあったが今は尾張国にある。
大蛇を斬った「韓鋤の剣」は、
出雲の簸の川上の山の中の「吉備の神部」のところにある。
「吉備の神部」、島根県の地図を見ると、
三国山辺りになるのだろうか。
あるいは、斐伊川から稲積山方面までのぼり、分水嶺を過ぎて
高瀬川を下ったところに岡山県神郷町という場所がある。
素戔嗚尊が使用した剣を置いておくのにふさわしい名前の地名である。
備前国一宮の石上布都魂神社には
素戔嗚尊が八岐大蛇を斬った「布都御魂」を祭神としていたという。
そこでは「布都御魂」の別名の一つが「韓鋤の剣」ということになっている。
この説話から吉備が出雲、素戔嗚尊、剣、布都、石上、(物部氏)などと
関連性がありそうなことが興味深く感じられた。
 

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地名と言うのも元々は昔からの由来があるものですからね^^

2012/7/3(火) 午後 6:52 [ 世渡り下手 ]

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世渡り下手さん、コメントありがとうございます。
韓半島から渡海してやってきた人たちが、
斐伊川に沿って南下して吉備国にたどり着いたのかもしれません。
山を越えたところに神郷町、
何年かかったのかは知る由もありませんが、
出雲と吉備のつながりが感じられます。

2012/7/3(火) 午後 8:22 [ 記紀いっぱつ ]

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こんばんは。以前ブログに載せた、わが町を起点の備後街道を想います。斐伊川沿いを福山方面、岡山県へと続きます。奈良時代にはあったといわれます。スサノオとの関連も斐伊川ですから、当然ありそうです。只今、神話博関係、、勉強中です。どんな記事が書けるやら、あまり期待しないでくださいね。(笑)

2012/7/3(火) 午後 9:34 さんせい

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さんせいさん、おはようございます。
さんせいさんのブログの備後街道の記事を観ながら開けた
地図を今回もなぞりながら考えていました。
素戔嗚尊の八岐大蛇退治の説話は
日本書紀本文もさることながら
一書(第一から第六)を見ると
古代のある時期に出雲を起点に
安芸国、吉備国、大和、紀州と
西日本一帯に人々が拡散していったのではないかと思われます。
所謂「銅鐸文化圏」と一致するのかもしれません。
九州の影が感じられないのも気になります。
九州とは別の文化圏だったのではないでしょうか。
いつもの通り、当てずっぽうですが。(笑)

2012/7/4(水) 午前 5:49 [ 記紀いっぱつ ]

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[記紀いっぱつ]さんこんにちは。
草薙剣のくだり楽しく読ませて頂きました。三種の神器の一つ天叢雲剣(草薙剣)は[記紀いっぱつ]さんと同じ様な背景を元に、八尺瓊玉は玉造湯神社境内の由緒を元に、時と場所のつじつま合わせし(妻曰く[自己満足]。私[ま−、いい加減なもんだ])、せっせと物語を作ってます。残る一つ八咫鏡は、卑弥呼が持っていた祭器とすると此れも自己満足できそうで・・・試行錯誤をたのしんでます。

2012/7/4(水) 午後 2:41 [ totoro ]

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totoroさん、コメントありがとうございます。
素晴らしい物語が完成することを期待しています。
韓鋤の剣と草薙の剣のことを書いていて、
疑問に思ったことがあります。
素戔嗚尊が天神で、八岐大蛇が地祇だとすると、
地祇の方が金属加工の技術が高かったということになります。
地祇ではなく、先にやってきた天神だったのかもしれませんね。

2012/7/4(水) 午後 8:52 [ 記紀いっぱつ ]

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[記紀いっぱつ]さん今晩は。 記紀いっぱつさんの疑問と推理、ぞくぞくするほど面白く思います。素戔嗚尊達は朝鮮半島を経由し今日の島根県平田市辺りに辿り着いた呉の民、八岐大蛇達はその後、やはり朝鮮半島を経由し今日の島根県雲南市大東町辺りに着いた越の民と想像しています。古事記の・・高志の八俣大蛇・・の下りから思いついた物語です。さて、素戔嗚尊の八俣大蛇退治を呉と越の民の争いとしたところまでは自己満足の世界でもマアマアなのですが、素戔嗚尊から出雲大国を受け継いだ大国主命の息子、建御名方が国譲りの時、高志(越の民の領域、云わば昔の敵国)を経由し山梨県の諏訪神社の祭神となる創作部分では???で、つじつま合わせを楽しんでいます。今は少し視点を替え、高志と大和の関係そして素戔嗚尊の出雲大国建設過程を創作しています。まあー、いいかげんですけどハッハッハー。

2012/7/4(水) 午後 9:37 [ totoro ]

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totoroさん、おはようございます。
物語はだいぶ進んでいるようですね。
「高志の八岐大蛇」の解釈、なるほどと思いました。
私は能登半島あたりからやってくるイメージをもっていました。
建御名方と諏訪大社の関係ですが、
翡翠の産地である糸魚川の上流まで
出雲の領域だったのではないでしょうか。
沼河比売との結婚は、
出雲が翡翠の産地を手に入れるための政略で、
糸魚川を登って八ヶ岳山麓まで達していたかもしれません。
根拠は全くありませんが・・・。

2012/7/5(木) 午前 6:14 [ 記紀いっぱつ ]

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[記紀いっぱつ]さんおはようございます。
記紀いっぱつさんの翡翠の件に賛成です。松江市玉湯玉造で作られていた勾玉は糸魚川の翡翠を使用していると思います。隠岐産の黒曜石が島根・鳥取・兵庫北部・丹後半島にも及んでいる事と併せ、日本を取り巻く古代の海路を想像しています。又、高志の八岐大蛇・・能登半島も賛成です。ロマンは広がり、前漢書・魏志・朝鮮半島にまつわる三国遺事などから、八岐大蛇達の民が多く暮らした地を福井から新潟・山形辺りと考え、素戔嗚尊の出雲大国成立の発端となった出雲と高志の戦場の一つを鳥取の青谷上地遺跡としました。もう、こうなると、妻は”フーン・ソーもう寝るよ”です。何時か、さんせいさんが書かれていた様に、女性にはロマンが欠けるところがあると嘯くだけです。

2012/7/5(木) 午前 7:42 [ totoro ]

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totoroさん、こんにちは。
出雲は「国引き神話」にあるように、
巧みな航海技術によって対岸まで含めた
環日本海文化圏(経済圏?)を築いていたのかもしれませんね。

2012/7/5(木) 午後 5:18 [ 記紀いっぱつ ]


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