のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

銅鐸

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銅鐸からわかること 

銅鐸をテーマにしようと思い、少しずつ参考文献や論文を読んだりしている。
銅鐸は紀元前3世紀ごろから紀元3世紀ごろまで
400年から500年の間製造されていたらしい。
3世紀中に地上から姿を消してしまったという。
埋まった状態で発見されているので正確にいつ姿を消したかはわからない。
姿を消してから最初に発見されたのは、
文献上では天智7年近江国志賀郡で
崇福寺を建立しようと地ならしをしていた時だという。(扶桑略記)
その後8世紀に2個、9世紀に2個、12世紀に1個、17世紀に1個
発見されるまでは1000年間に7個しか掘り出されていない。
18世紀になると22個以上、19世紀に94個以上と飛躍的に発見数は伸び、
20世紀には160個以上が見つかっているらしい。
(発見数については臼田篤伸氏の「銅鐸民族の謎」による)
これまでに500個程度が発掘されているという。
続日本紀岩波版の補注によると、銅鐸に対して、
「平安時代にはインドマウルヤ王朝のアショーカ王が
各地に建てた宝塔と結び付け、
銅鐸を阿育王の塔鐸とする考えが行われた。」
と書かれている。
大きさは数センチから十数センチの小銅鐸から
小型銅鐸、中型銅鐸、大型銅鐸と銅鐸製造技術の進歩と共に
大型化していったようだ。
大型銅鐸は1m以上の高さのものもある。
先述した天智朝に出土した銅鐸は「高五尺五寸」とあるので
文面通りだと1m60cmほどの高さがあったのだろう。
発掘場所は初期の物は九州からも出ているが、
主に関西、東海、島根などを中心とした地域となっている。
鋳型は奈良県、大阪府、北部九州などから十数例見つかっているという。
用途は祭祀に使われたとする説が主流だというが
はっきりとした根拠はなさそうだ。
いずれにしても3世紀のある時期に
忽然と地上から消えてしまったという事実は間違いがなさそうだ。
3世紀の前半なら卑弥呼の時代に消えたことになる。
後半なら卑弥呼の死後の大乱に因るのかもしれない。
知ってか知らずか銅鐸について記紀は全く触れていない。
 
(To be continued)

閉じる コメント(4)

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そうなんですね。銅鐸は解りません。
古代の各家ごとに一個ずつ持っていたのかな、と思っていましたが、のろしの代わりに鳴らしてコミュニケーションを取っていたのかななんて、、祭祀に使っていたという説が多いですが、まだ納得出来ていません。記紀さんにまたお任せです。

2012/8/4(土) 午後 7:43 さんせい

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さんせいさん、おはようございます。
これから銅鐸のことをわかったように言う人は信用できない、
という流れで書いていこうと思っています。
根拠も何もないのに土の中から出てきたものだけ見て
何かを論じるのはどうかと思います。
それにしても、銅鐸をもつ村々が西日本一帯にあったことは
史実なので、興味は尽きません。

2012/8/5(日) 午前 9:46 [ 記紀いっぱつ ]

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象形文字の起源とされるべき「線刻画」が
【銅鐸へ記録】されていた事実から

【狩猟採集時代の情報伝播】が行われた
【用の道具】とみなすべきではないかしらん。

2013/12/24(火) 午後 0:49 1082001(紫音)

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1082001さん、コメントありがとうございます。

銅鐸の用途、何かありそうですね。

2013/12/25(水) 午後 7:20 [ 記紀いっぱつ ]


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