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銅鐸に関する書物を読んで、
あらためて日本の古代史における記紀のありがたさを痛感している。
架空の話が多いとか、
にわかには信じがたいとか、
大和朝廷を正当化するために史実をゆがめているとか、
いろいろ言われているが
記紀がなければ日本古代史はほとんど何もわからないだろう。
歪められた史書であっても、
何故歪められたかを分析することによって
元の姿がわかってくることもある。
海外の史書と照らし合わせることによって
史実をあぶりだすこともできる。
しかし銅鐸は土の中から掘り出されたものの、
同時代文献は何もなく詳しいことはわからない。
銅鐸を製造したのは誰なのか、
どのように使用したのか、
なぜ山の斜面に埋まった状態で発見されたのか、
はっきりしたことは何もわからない。
わからないことはわからないというのが学問だろうと思うが、
発掘を行った考古学者をはじめ諸氏が
いろいろと推論を発表しているのが現状のようだ。
中には断定的なことを述べている論文もあるようだが、
不確かなことを断定する文章を読むと論文全体が信用できなくなってしまう。
日本列島内で発見された銅鐸について
製造した人、使用していた人、使用目的などを
明確に示している文献は国内にも海外にも一切見つかっていない
ということを前提にして、
どのようなことが推論されているかを見てみようと思う。
●祭祀用として使われていたらしい。
●地中に埋めて保管していたらしい。
否、敵に攻撃されて逃げる時に山の斜面に埋めたらしい。
●使い終わった銅鐸を(粘土のようなもので包んで)
作った時の姿に戻して埋納したらしい。
●人里離れたところに埋めてあるので日常使う道具ではなかったらしい。
●中に垂らした舌と呼ばれるものを振って音を出したらしい。
●銅鐸の製造技術は驚くほど高いので、
3000年前の中国長江上流域に栄えた三星堆文明の影響を受けているらしい。
つまり中国から渡ってきた青銅器製造の技術者が銅鐸作りを始めたらしい。
●音を聞いて神秘的な気分を得ていたらしい。
●祭壇においてその前に人々が跪いて礼拝していたらしい。
●表面に書かれた模様の中には絵文字として機能したものがあったらしい。
●銅鐸の模様は現代人に対して何かを訴えかける
タイムカプセルの意味があるらしい。
●銅鐸は銅剣を造るために銅を確保しておくインゴットだったらしい。
●彼岸を測定する観測器具だったらしい。
●湯沸かし器だったらしい。
など、珍説を含めていろいろな経歴の人が想像力をたくましくしている。
(これらの諸説の洗い出しは、
臼田篤伸「銅鐸民族の謎」を参考にさせていただきました。)
それに対して、ある程度はっきりしていることを列挙してみよう。
○全国でこれまでに約500個発掘されている。
(約500個の詳細は明らかにされていないようだ。)
○紀元前3世紀の終わりごろから400年余りの期間にわたって製造されていた。
(発掘された地層から埋蔵時期を割り出しているのだろう。)
○発掘された銅鐸は高さ数センチから十数センチの小銅鐸から
小型銅鐸、中型銅鐸、1メートルを超える大型銅鐸まである。
後になればなるほど薄く軽量で大型になっていったようだ。
製造技術の進歩によるものだという。
○装飾は素朴だが、原始絵画と言える図柄が刻まれているものもある。
○発掘場所は関西、東海、島根などが中心。
○鋳型は奈良県(唐古・鍵)、大阪府(東奈良)、北部九州で十数例発掘されている。
○同じ場所から多数発掘されたのは、
滋賀県野洲町小篠原 24個
神戸市桜ケ丘 14個
島根県神庭荒神谷 6個
加茂岩倉 39個
歴史の大きな流れで言えることは、
青銅器製造技術をもって日本列島に来た人たちが住みついて
豊富な銅鉱石を使って銅鐸を造るようになった。
それがBC200年頃のこと。
時代的には史記に書かれている徐福一行が渡海した頃と一致している。
400年の間に居住範囲を拡大していったものと考えられる。
青銅器製造技術も飛躍的に進歩して
大型銅鐸をも製造するようになった。
移動に不都合な大型銅鐸を造ったということは
移動を必要としないような平和な時代があったのかもしれない。
2、3世紀世紀ごろになると、
日本列島は倭国大乱の時代になり
銅鐸をもって生活していた人々は侵略されて滅ぼされてしまったのだろう。
考えたくはないが、卑弥呼が魏王に送ったという「生口」とか
卑弥呼の冢に順そうされた徇葬された百余人の奴婢は
征服された「銅鐸民」たちだったのかもしれない。
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銅鐸
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銅鐸民族は、やはり中国から渡ってきた人たちが元祖だったということですね。奏でる音が目的で作ったとは思えません。
また、それらの人々が卑弥呼によって駆逐されたというのは、衝撃です。
2012/8/5(日) 午後 4:20
さんせいさん、朝鮮半島は銅があまりとれないようなので、
揚子江のあたりから来たのではないでしょうか。
卑弥呼、たまたま時期が同じということだけかもしれません。
卑弥呼の鬼道に祟られそうです。(笑)
2012/8/5(日) 午後 8:50 [ 記紀いっぱつ ]