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【日本書紀の「日本建国」に対する考え方】
日本書紀の編纂に関係した人たちは、
「661年」が新しい日本の出発の年だと考えていた。
「神武紀」は、神武帝の即位を紀元前660年の辛酉の年に置いている。
「神武紀は、神武天皇の即位を西暦紀元前660年に当たる辛酉の年とし、これを起点として紀年を立てている。
この紀年が神武天皇紀元とか皇紀とか呼ばれて、明治以降、戦前には広く行われていた。」
この辛酉が建国の年だとした根拠は、「辛酉を革命となし、甲子を革令となす。」とする『易緯』の理論だった。
『易緯』は紀元前6年ごろに前漢朝で作られたといわれ、「紀元元年の辛酉と紀元4年の甲子を新朝の到来すべき時」と予言した。
後漢末の大学者鄭玄(じょうげん)は『易緯』に注をつけて、「天道は1320年(60年×22)で循環する。」と説明している。
「この1320年を完結した歴史の周期とする理論を『日本書紀』の紀年に適用すると、神武天皇の即位とともに始まったサイクルは、660年の百済の滅亡をもって一巡し、翌661年の辛酉から全く新しい時代が始まったのであった。」
(岡田英弘「倭国の時代」より)
これが白村江の戦(663年)に完敗した後、新しく「日本」を立ち上げようとした人たちが、661年を日本建国の年と考えることを前提にして、新生日本の歴史を国際的に通用するために、考え出した日本建国の理論であり、その理論によって人皇初代の神武天皇は造り上げられた。
この660年から「日本書紀」完成の720年までの60年間が新しい日本建設の日々であり、それは太平洋戦争で完膚なきまでに破壊された後に高度経済成長を遂げて国際社会に復帰した20世紀末の日本の状況と似ているのかもしれない。
「実際、日本という国号も、天皇という王号も、この60年間に現れたもので、
― 中略 ―
670年に新羅を訪問した阿曇連頬垂(あづみのむらじつらたり)が日本国を名のった使節の最初である。」
と岡田は述べている。
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2011年02月11日
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