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天武天皇の崩御後、即座に大津皇子に謀反の濡れ衣を着せて逮捕・処刑に追い込むには、持統天皇側にとってもそれなりの正当性をもつ必要があったのではなかろうか。
有能な大津皇子を抹殺することは、心の拠り所もなく、我が子可愛さのためだけでできるほど簡単なことではないだろう。
持統天皇の父中大兄皇子と藤原不比等の父鎌足が協同して行った過去の3件の事件は持統天皇と不比等にとって大きな心の支えになったに違いない。
お互いにとって偉大な父である中大兄皇子と鎌足が行ったことと同じことをするのだから許されるに違いない。
ためらいなく大津皇子殺害に向う持統天皇と不比等にはそんな意識があったのではないだろうか。
3件の事件とは、
古人大兄皇子謀反画策事件(大化元年:645年)
蘇我倉山田石川麻呂謀反事件(大化5年:649年)
有間皇子謀反発覚事件(斉明4年:658年)
これらのの事件には、
・対象者を中大兄皇子が勢力争いの対抗馬として意識していたこと。
・相手陣営の中から密告者が出たこと。
・密告者が事件後中大兄皇子によって優遇されていること。
が共通している。
藤原不比等が持統天皇の信頼を得る最初の業績は、お互いの父親が協同して行ったと考えられる、
「謀反でっち上げ」による事件を前例として参考にしたものだった。
特に2件目の被害者となった蘇我倉山田石川麻呂は、持統天皇にとって母方の祖父に当たる人である。
父による祖父の殺害である。
時にはこのような非情なこともしなくてはならない、という前例にもなっているのだろう。
不比等は大津皇子殺害の提案を持統天皇に持ちかけた時に、
「天智天皇のおやりになったことと同じことをするだけです。」
と言って企画の正当性を主張したのではないだろうか。
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