のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

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藤原不比等が宮子を文武天皇の夫人として嫁がせたのは文武元年(697年)。
その前後の貴族たちの位階を確認しておきたい。
持統紀十年(696年)十月に高官たちに論功行賞が与えられている。
そこに主だった人たちの位階が出てくる。
正広参位(正従二位or正正三位相当)右大臣丹比真人、
正広肆位(正従三位相当)大納言阿倍朝臣御主人、
同大伴宿禰御行、
直広壹位(直正四位下相当)石上朝臣麻呂、
直広貳位(直従四位下相当)藤原朝臣不比等と出てくる。
不比等の直広貳は上から12番目の位階である。
 
同じ人たちは5年後の大宝元年の昇位階人事でまた同様に登場してくる。
この人事は正広参大納言大伴宿禰御行の死去に伴うもので、大宝令制の位階官職をはじめて採用した。
正広貳左大臣多治比真人→正正二位、
正広参大納言阿倍朝臣御主人→正従二位右大臣、
直大壹中納言石上朝臣麻呂・直広壹中納言藤原朝臣不比等
→正正三位大納言、
直大壹大伴宿禰安麻呂・直広貳紀朝臣麻呂→正従三位、
紀朝臣麻呂は大納言も拝命している。
大伴宿禰安麻呂は御行の死去によって出世の道を失ったのかもしれない。
 
大宝元年の人事には持統十年に登場した人たちは上位から順にラインアップされており、中でも石上朝臣麻呂と藤原朝臣不比等は肩を並べて大納言となり、大出世を遂げている。
 
持統十年には「直広貳」という12番目の位だった不比等が、翌年には娘の宮子を即位した文武天皇に嫁がせている。
特に目立った地位にはいなかった不比等が持統天皇から受けた信頼を背景にして、娘を後宮に送り込むことによって、後の藤原氏の繁栄の端緒を切り開いた。
 
文武天皇勅願寺と言われている紀国日高郡の道成寺の建立責任者は紀道成と言われている。
道成は麻呂とも呼ばれていた。
大宝元年に直広貳から大納言に抜擢された紀朝臣麻呂がその人であるという。
梅原猛「海人と天皇」には、奈良大学の水野正好氏が「道成寺の発掘調査」の中で、道成寺を建立した紀道成は紀麻呂である、と言っていることを紹介している。
 
このように文武朝廷と道成寺の結びつきが強くなると、文武天皇夫人宮子姫の髪長姫説の信憑性がますます高まってくる。
 

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