のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

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出雲振根

8世紀初頭に編纂されていた日本書紀は近畿天皇家が
神武帝以来日本全国を平定していたことを前提にしている。
したがって各地に勢力をもっていた諸国を、
過去にさかのぼってなかったものか、
あるいは近畿天皇家に服従していたものにしようとしている。
出雲国が過去のある時点まで
近畿天皇家よりも強い勢力をもっていたことはまちがいないだろう。
記紀の国譲り神話はそのことを表す伝承の一つと言える。
 
崇神紀は四道将軍を派遣して、
この頃に近畿天皇家が国内に勢力を拡大したことを示そうとしている。
崇神六十年秋七月条に出雲振根の討伐譚が出てくる。
「群臣に詔して曰はく、
『武日照命(出雲臣の祖神)の、天より将ち来れる神宝を、
出雲大神の宮に蔵む。是を見欲し。』
とのたまふ。」
出雲の国主が海外から持ち帰った神宝を
出雲の宮にしまい込んでしまったと聞いた
崇神帝は使いを遣わして何とか取り上げようとした。
出雲振根は筑紫に出かけて使いに会わないようにした。
代わりに使者と面会した弟の飯入根は
神宝を使者に渡してしまう。
戻ってきた振根は話を聞き弟を責めて殺してしまう。
経緯を聞いた崇神帝は吉備津彦と武渟河別を派遣して
出雲振根を殺してしまったという。
振根が筑紫に出かけたということは
ある時期において出雲と筑紫が同盟関係にあったことを
示唆しているのかもしれない。
門脇禎二「は出雲の古代史」の中で、
「大和国家の軍が最初に出雲を攻撃したのは、
吉備津彦が武渟河別とともに
出雲振根を討滅したという伝承がある。
これは大和→茅渟または紀伊→(瀬戸内海)
→吉備→(旭川あるいは高梁川)→(美作)→(横田)
→(斐伊川)→出雲のルートが想定される。」
と言っている。
門脇氏がこの説話を史実として肯定しているのではなく、
大和と出雲の導線を示す一つの例としてこの説話を取り上げている。
 
出雲振根討伐の説話は古事記には記載されていない。
近畿天皇家の史書として作られた古事記が
何故このように重要な説話を載せていないのだろうか。

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