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北島国造家に伝わる「出雲国造古系図」を見ている。
①天穂日命→②武雛命から始まって㉒美許奈大臣→㉓叡屋臣(帯評督)まで。
一代約20年とすると、450年間ほどをカバーしているのだろうか。
崇神60年条の出雲の神宝記事と対比してみよう。
「武日照命一に云はく、武夷(ひな)鳥といふ。又云はく、天夷鳥といふ。の天より将(も)ち来れる神宝」
岩波版の注にも武日照命は天菩比の子とある。
系図の②武雛命とみてよかろう。
この神宝を崇神帝の時代(60年秋7月)に、出雲臣の遠祖出雲振根が管理していたという。
系図を見ると⑪阿多命→⑫伊幣根命→⑬氏祖鵜濡渟(うかづくぬ)命となっており、
鵜濡渟は神宝を朝廷に貢上した人物として書紀に登場している。
書紀では鵜濡渟は飯入根の弟で、飯入根は出雲振根の弟。
つまり出雲振根、飯入根、鵜濡渟は兄弟である。
その関係から比定しているのか、他に根拠があるのかわからないが、
⑪阿多命を出雲振根とする説が多いようだ。
⑫伊幣根命と飯入根は音が似ているのでよいのかもしれない。
出雲に神宝を持ち込んだ武日照命から出雲振根とされる⑪阿多命まで9代距てていることになる。
約180年の時が経過していた。
つまり国譲りの登場人物である天菩比命の約200年後の出来事ということになる。
もし国譲りを倭国大乱(2世紀後半)と関連付けて考えると崇神帝の時代は4世紀となりそうだ。
大雑把な計算なので前後50年位のズレはあるだろう。
この北島国造家の系図自体が日本書紀を見て修正していることも考えられるので決定的なことは言えない。
崇神紀に登場している⑬鵜濡渟(うかづくぬ)命の名前の前に「氏祖」と書いてあるのは注目に値する。
⑪阿多命が出雲振根だとすると吉備津彦に殺害されており、
⑫伊幣根命も飯入根だとすると兄の出雲振根に殺害されている。
出雲国造家は阿多命、伊幣根命の頃に政変につながる大事件があり、
その結果⑬鵜濡渟命を氏祖とせざるを得ない事情が生じたと考えることができるのではなかろうか。
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2012年07月20日
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