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対馬・壱岐に本拠のあった天国側は天孫降臨で九州上陸を果たした後に朝鮮半島へも侵略を行い、朝鮮半島南端と九州北岸をはさんで海峡国家を形成したのではないだろうか。
2世紀前半から三国史記に倭人が侵犯してきたことが記載されている。朝鮮版天孫降臨だろうか。
前後関係は以下のように理解している。
57年 倭奴国王金印受領 (後漢書)
80〜100年 倭国、百余の小国に分立
107年 倭王帥升、生口160人献ず (後漢書)
115年頃 瓊瓊杵尊、天孫降臨
126年 倭人兵を連ねて辺を犯そうとする (新羅本紀)
150年〜187年 桓霊の間、倭国内乱 (後漢書)
185年ごろ 卑弥呼共立
237年 倭女王卑弥呼新羅に遣使 (新羅本紀)
238年 倭女王卑弥呼魏に遣使 親魏倭王金印紫綬受領
〜243年 倭女王卑弥呼魏に数回遣使
245年 難升米、魏より黄憧を賜る
248年 倭女王卑弥呼没
266年 倭女王壹与 西晋に貢献
壹与の後、倭国は「男王並受中国爵位」 (梁書)
413年 倭王讃、東晋へ朝貢 (晋書)
421年〜478年 倭の五王、宋へ朝貢 (宋書)
という理解の中で考えると、
神功皇后紀の「筑後平定説話」は150年〜187年の倭国内乱の一環の事件だったのではないだろうか。
天孫降臨で筑紫に上陸を果たし筑前地域を支配した瓊瓊杵尊は香椎宮近辺に本拠を構えた。
香椎宮から大宰府方面に進出し、筑後方面を征圧する。筑後は何とか制圧したものの各地で内乱は続いた。そこで各国は女王卑弥呼を共立すると乱は収まったという。
卑弥呼は魏に朝貢し魏の力を背景に支配を強めたが狗奴国などとの争いは収まらなかった。卑弥呼、壹与と女王の時代の後、男王が立ち中国の東晋への朝貢を続けた。
4世紀になり倭王にとっては未だ従属しない九州東・南部の存在が懸案となっていた。
仲哀紀、景行紀に時代を逆転して組み込まれた「九州一円平定説話」は倭王が隣国の伊都国王五十亦手と岡国王熊鰐の協力を得て、周芳の沙麼に集結し九州一円を征圧する説話である。
日本書紀は「倭国=九州王朝の九州一円平定説話」をあたかも近畿天皇家が九州まで出向いて行った業績のように換骨奪胎して取り込んでいるものと思われる。
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2012年08月17日
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