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日本書紀巻第二神代下から国譲り、天孫降臨の説話が始まる。
古事記岩波版には「葦原中国の平定」という段落のタイトルが付けられている。
日本書紀の国譲り・天孫降臨説話は本文の他、一書が第一から第八まで8種類記述されている。
日本書紀では一書(第一)が、国譲りの使者を派遣する高天原の主体が天照大神となっているが、他では主体が具体的に登場しているものについては、「高皇産霊尊」を主体として描かれている。
(一書(第二)では「天神」と「高皇産霊尊」が併用されている)
特に本文においては「皇祖高皇産霊尊」という表現さえも使用されている。
古事記では、天照大神と高皇産霊尊は並んで登場してくるが、どちらかというと天照大神を上位にしている印象がある。
(書き出しが「天照大神の命もちて、・・・」となっている。)
記・紀が編纂された8世紀初頭の近畿天皇家では、おそらくすでに天照大神を最高神としていたものと思われる。
その朝廷の環境の中で、国譲り→天孫降臨を行った主体が日本書紀本文と古事記で異なっているのはどういうことなのだろうか。
もし元々の伝承が高天原の最高神を天照大神としていたとすると、日本書紀が本文において天照大神を高皇産霊尊に書き換えるということがありえるだろうか。
編纂に携わっている史官が近畿天皇家の最高神を他の神に変更するなどということは起こりうることではないだろう。
したがって元々の伝承は、
「高天原の最高神は高皇産霊尊だった」
ということになる。
古事記が編纂時点で近畿天皇家を慮って「天照大神」に変更した可能性が強い。
それでは何故国史として最終的に採用された日本書紀が原文のまま「高皇産霊尊」を使ったのかを検証していこうと思う。
「皇祖高皇産霊尊」とあえて天照大神を凌ぐ表現を用いていることも気になるところだ。
(To be continued)
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2012年09月01日
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