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国譲りと天孫降臨において高天原の最高神は高皇産霊尊だった。
それを古事記は8世紀の近畿天皇家の事情に合わせて最高神を天照大神に書き換えた。
しかし日本書紀の編纂を司っていた藤原不比等はあえて伝承されてきた原話を尊重し高皇産霊尊を最高神とすることにこだわった。
高皇産霊尊は娘の栲幡千千姫命を天照大神の息子の天忍穂耳命に嫁がせることによって瓊瓊杵尊の外祖父となっている。
これは7世紀末に持統帝が切望して即位させた孫の文武帝に藤原不比等が娘の宮子を嫁がせて生まれた首皇子(聖武帝)を即位させることと事情がよく似ている。
高皇産霊尊と天照大神の関係(瓊瓊杵尊の外祖父と祖母)は藤原不比等と持統帝の関係のようでもあるし、不比等と元明帝の関係とも似ている。
持統帝をモチーフに天照大神を創造したのだろうが、首皇子が生まれて元明帝が即位すると、不比等は自分の存在を高皇産霊尊にだぶらせる構想を得たのではないだろうか。
日本書紀に前例を仕込むことによって自分の立場を正当化することは不比等の常套手段だったようだ。
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