のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

もう少し河内洋輔氏の著書「古代政治における天皇制の論理」を
参考にしてみよう。
河内洋輔氏は皇極帝には天皇に即位する資格がなく、
即位は「日本書紀」編纂の際の創作。
舒明帝の崩御後の4年間は、
誰も天皇に立つことができずに空位の状態が続いた。
日本書紀では皇極帝は4年後に譲位しているが、
創作の即位を行ったために、
異例の「譲位」をする必要が生じた、としている。
実に論理的な見解である。
 
【皇女、皇子ではなかった皇極帝と孝徳帝】
言うまでもなく皇極帝と次代の孝徳帝は同母姉弟である。
父は敏達帝の皇子押坂彦人皇子の息子茅渟王。
母は欽明帝の子桜井皇子の女吉備姫王。
即位前皇極帝は宝皇女、
孝徳帝は軽皇子と記されているが、
これも日本書紀が記述しているだけで、
系譜から見てどちらも皇女、皇子でないことは明らかである。
父も母も天皇との血縁は3親等で、
皇位継承資格から考えると血統の価値はほとんどないと言える。
 
【子持ち再婚だった皇極帝】
さらに皇極帝には既婚歴があったことが斉明紀に記されている。
つまり舒明帝とは再婚であり、
およそ皇后にふさわしからぬ経歴と言わざるを得ない。
客観的に見ると、皇極帝には即位できる資格が何もない。
さらに皇后であったかどうかも疑わしいのである。
たとえ皇后であったとしても、
皇后であることが即位するための十分な資格とはならない。
皇后でも皇女でなければ即位することはできない。
日本書紀の編纂者もそのことは百も承知なので、
皇極帝を宝皇女、あるいは皇后だったと記している。
 
【皇極帝→斉明帝重祚は日本書紀の創作】
河内洋輔氏は、
皇極帝が一代おいて重祚したことになっている斉明帝については、
中大兄皇子が殺戮合戦を勝利した後なので、
長期間皇太子の地位にいて天皇と同様な資格を得たとみなすことによって、
皇太子の実母として即位の可能性はあると述べている。
皇極帝は4年間の空位時代を埋めるための
日本書紀編纂者のアイデアであった、とする
河内氏の考え方は一考に値するだろう。

全1ページ

[1]


.
記紀いっぱつ
記紀いっぱつ
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事