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時代が下ってからは、明治31年に国学者栗田寛が著した
「神器考証」の中の『神剣現状』に神剣について記されている。
これは「玉籤集」という吉田家に伝わる本からの引用という体裁をとっている。
「玉籤集と云う書の裏書に、(この裏書をかける年月詳らかならず、)
八十年許前、熱田大宮司社家四五人と志を合せ、
密々に御神體を窺奉る、土用殿に御剣御鎮座、
渡殿は剣宮にも同様なる御璽の箱在す也、
御璽の箱、御戸口の方に副て、在坐けると也、
扨(さて)内陣に入るに、雲霧立塞がりて、物の文も不見、
故各扇にて雲霧を払い出し、隠し火にて窺奉るに、
御璽は長五尺許の木の御箱也、其内に石の御箱あり、
箱と箱の間を、赤土にて能つめたり、
石の御箱の内に、樟木の丸木を、箱の如く、内をくりて、内に黄金を延敷、
其上に御神體御鎮座也、
石のお箱と樟木の箱との間も、赤土にてつめたり、
御箱毎に錠あり、皆一鎰にて開、開様は大宮司の秘伝と云う、
御神體は長さ二尺七八寸許り、
刃先は菖蒲の葉なりにして、
中程はムクリと厚みあり、
本の方六寸許りは、節立て魚等の背骨の如し、
色は全體白しと云ふ、
大宮司窺奉る事、神慮に不叶にや、不慮のことにて、流罪せらる、
其余も重病にて亡び、其内一人幸に免れて此の事を相伝せり、云々、・・・」
この玉籤集の裏書が書かれた年がわからないので、
ここに書かれている事件がいつだったのかわからない仕組みになっている。
熱田神宮の宮司たちが
土用殿にあった御神體(御剣)の箱を開けてみたという話。
箱は五尺くらいの長さの木の箱、
その中に石の箱があり、
木の箱と石の箱の間は赤土で詰められている。
石の箱の中には樟の丸木をくりぬいたところに黄金を延敷いて
その上に御剣は置かれていたという。
石の箱と丸木の間にも赤土が詰められていたようだ。
箱にはすべて錠がかけられていたが、
大宮司に伝わる鍵ですべて開いたらしい。
御剣は長さ二尺七八寸、刃は菖蒲の葉のような形をしており、
真ん中あたりは厚みがある。
本の法の六寸ほどは節立て魚の背骨(どんな形か?)で
全体に白っぽかったらしい。
大宮司はこの剣で罪に問われて流罪になり
すぐに病となって亡くなったが、
罪を免れた人が一人いてこのように伝わったということである。
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2012年12月24日
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