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魏志倭人伝には景初二年六月に、
倭女王卑弥呼の使者が朝貢してきたことに対する返礼として、
同年十二月に卑弥呼に対して報じられた詔書が記載されている。
それによると、
倭国は魏に対して、
男生口四人・女生口六人・班布二匹二丈
を奉ったという。
それに対して魏王(明帝)は卑弥呼を親魏倭王に任じて金印紫綬を授け、
使者難升米と都市牛利には銀印青綬を授けた。それ以外にも、
「絳地交竜錦五匹、
絳地縐粟罽十張、
蒨絳五十匹、
紺青五十匹、
を倭国に、
その他に卑弥呼個人に対して、
絳地句文錦三匹、
細班華罽五張、
白絹五十匹、
金八両、
五尺刀二口、
銅鏡百枚、
真珠・鉛丹各々五十斤を賜う」
とある。
魏王が与えるこれらの品々を国中の人に示して、
国家(魏)が卑弥呼を哀れむ(支持している)ことを知らしめるようにと
わざわざ賜物の目的を記している。
狗奴国との戦争に困惑して
魏に助けを求めた卑弥呼にとっては
何よりのプレゼントだっただろう。
魏王からの贈り物を卑弥呼が
「三種の神器」として権力の象徴にしたことは想像に難くない。
それがそのまま大和朝廷まで伝わったということは断言できることではないが、
受け取ったものの中に、
「剣」、「鏡」、「玉(真珠)」が含まれていることは
注目すべきことではなかろうか。
魏志倭人伝には、
三種の神器より前に絹製品が筆頭にあげられている。
中国にとっては三種の神器よりも
絹製品の方が価値があるものであったのだろう。
絹製品・毛織物・薄絹の順序で書かれているが、
これらが一体どんなものであったかが、
布目順郎氏の名著「倭人の絹」の中の
『倭王と魏帝が取り交わした織物類』に記されている。
絳地交竜錦:「絳」は日の出のような濃赤色、
「交竜」は陰陽和合。
日の出のような濃赤色の地に二匹の竜が描かれている錦。
絳地縐粟罽:「縐粟」は細かい縮み織のこと、
「罽」は動物の毛を織って作ったカーペットのような毛織物。
蒨絳(せんこう):「蒨」は茜草のこと、
蒨絳は茜染めの布か帛布(はくふ、うすぎぬ)。
紺青(こんじょう):濃い群青色の帛布。
次に卑弥呼個人に与えられた品々を見てみよう。
絳地句文錦:「句文」は勾連雷文(こうれんらいもん)と呼ばれるジグザグの文様。
日の出のような濃赤色の地に勾連雷文が描かれている。
細班華罽:細かい花模様を班に出した毛織物。
白絹:白い帛布。
中国では、
「衣服の文様はその文様の持つ霊力が
その衣服をまとう人物に作用するものと考えられていた」(「倭人の絹」)ので、
竜の文様の錦を卑弥呼に与えて霊力を与えたのだろう。
同著には、
「中国周辺国の王で竜文のある衣服を身に着けた者に西夏王の例がある」
とも書かれている。
日本の遺跡から出土した絹を調べた布目順郎氏は、
絹が出土する弥生時代の遺跡が
北部九州の福岡県、佐賀県、長崎県に限られていることから、
「倭人伝で倭といっているのは
北部九州を中心とする地域を指しているのではないか」(「倭人の絹」)と述べ、
さらに、
「弥生時代後期の絹製品を出した遺跡もしくは古墳は、すべて北九州にある。
したがって、弥生時代に比定される邪馬台国の所在地としては、
絹を出した遺跡の現時点での分布からみるかぎり、
北九州にあった公算が大きいと言えるだろう。」(布目順郎著「絹の東伝」)
と論じている。
このように三種の神器+絹製品は邪馬台(壹)国北九州説の
強力な証拠となっていると言えるだろう。
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2012年12月29日
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