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谷川健一氏は「青銅の神の足跡」の中で天日槍のことを、
「彼こそは古代の日本に最初の緊張をもたらした異国人である。」
と言っている。
垂仁紀三年春三月条の「一に云はく」の記事と
播磨国風土記に何度も出てくる領土争いの記述から類推していくと、
天日槍は播磨国の宍粟郡の揖保川流域の地に魅力を感じていたと思われる。
谷川健一氏は、その辺りで採取できる砂鉄や鉄鉱石の資源が目当てだった、
と述べている。
揖保川河口に停泊した天日槍の船団は、
先住していた葦原志挙乎命に定住地を与えてくれるように求めている。
実際には領土の割譲を要求したのだろう。
弥生時代以来、東シナ海や日本海を渡って
中国や朝鮮から人々が日本列島にたどり着き、
縄文時代からの先住者を追い払ったり、
共存したりしたことは何度もあっただろう。
秦の時代には徐福が数千人を引き連れて海を渡って帰ってこなかった、
という言い伝えが残されている。
日本側にも各地に徐福伝説があり、
出発地と到着地の言い伝えが合致している。
徐福に代表される弥生時代中期頃の渡来者が
どういうやり方で日本列島に上陸を果たしたかは知る由もない。
「天日槍」は記紀にも風土記にも記録が残された大移民団の渡来説話である。
初期の弥生人の渡来は石器くらいしか武器を持たない縄文人が相手なので、
比較的穏やかな上陸が実現したのかもしれない。
しかし弥生時代後期になると
日本列島の中にもすでに金属文明などが浸透しているので
新たな渡来者との間には激しい争いが生じたことだろう。
播磨国風土記に揖保郡条に、
上陸を求める天日槍に対して葦原志挙乎命は
「海中を許したまふ」とある。
海岸に停泊することを許された天日槍は
「剣を以て海水を撹きて宿りたまふ」。
具体的には何をどうしたのかはっきりしないが、
葦原志挙乎命はその行いを見て「畏みた」=恐れおののいたらしい。
天日槍は先住者より進んだ技術をもってきていた。
剣で海水を撹いた行為は
江戸時代末期にやってきた黒船が
大砲などで行った威嚇行為と同じような意味を持っていたようだ。
葦原志挙乎命の緊張感は一気に高まったことだろう。
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2013年01月28日
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