|
どの程度史実を反映しているのかはっきりしたことはわからないが、
正史に記録されている渡来人で子孫の系譜が残されている
最古の人が天日槍だろう。
播磨風土記によると、
揖保川流域で葦原志挙乎命や伊和大神と領土争いの抗争を展開した後、
出石に定住し太耳の娘麻多鳥(またを)を娶り、
但馬諸助を生み、諸助以下の系譜が紹介されている。
谷川健一氏は朝鮮半島から来た天日槍が、
「ミミ」がつく太耳の娘と結ばれていることに注目している。
「ミミ」の名を有しているのは、
耳に大きな飾りをつけて耳たぶを大きく見せることを
権力の象徴にしていた人々、
彼らは「揚子江沿岸から海南島にいたる中国南部に住む海人族であり、
彼らは常時大きな耳輪を下げる風習をもっていた。」(「青銅の神の足跡」)
東シナ海を渡って渡来してきた人「ミミ」と
対馬海峡を渡って渡来してきた人が
日本列島で結びついて子孫を残したということになる。
谷川氏によると同様な例として、
素戔嗚尊が婚姻した出雲の須佐之八耳の娘の例を挙げている。
神武帝も三嶋溝橛耳の孫娘を正妃に迎えて、
神八井耳命と神渟名川耳命を生んでいる。
対馬海峡を渡ってきた人々と
東シナ海を渡ってきた人々が交わりあって
日本の歴史を作り始めたということは間違いないことだろう。
天日槍説話はその象徴でもあると思われる。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2013年01月29日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]




