のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

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「四寅剣」については、2010年(寅年)1月3日の中央日報に記事が載っている。
 
「 寅年になると思い出す伝統文化の遺産の中に四寅剣がある。
名前が四寅剣であるのは、
寅年陰暦正月(寅月)の最初の寅日の寅時に作られる剣だからだ。
百獣の王であるの寅の気運が4つも重なるため陽気が極に達し、
あらゆる邪悪な気運を退けると伝えられている。
同じ原理で竜の気運を込めた四辰剣という剣もあったというが、
今日は伝えられていない。
 
  12年に一度ずつ、それも決まった日の午前3時から5時の間に作れる
ということで、ひとまず希少性が保証される。
このために王室やその一族が所蔵できる貴重な剣だが、
人を切る剣ではない。
悪神や鬼神から主人を保護する祭礼用の斬邪剣の一種だったため、
最初から刃を研いでいない。
 
  斬邪剣とは、もともと中国後漢時代に
五斗米道を創始した道教の指導者の張陵が
玉皇上帝から譲り受けたという刃物だ。
四寅剣の剣身にも北斗七星と二十八宿など星座、呪符と
真言が刻まれていて、道教の影響が色濃く感じられる。」
 
「四寅剣」とは、
「寅年、寅月、寅日、寅時の寅が四つ重なる時に溶鉄を注いで作る宝剣」
のことだという。
寅の「陽」の気を用いて「陰」の気による邪悪な悪神や鬼神を祓いよける斬邪剣。
王室やその一族のみが所有を許される。
 
昨日文京区民センターで古賀達也氏の講演会があった。
テーマは「王朝交代の古代史:7世紀の九州王朝」で、
話も興味深い内容だった。
講演の最後に元岡G6古墳出土太歳庚寅銘鉄剣についての考察があった。
鉄剣に記されている銘文は以下の通り。
「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果(練)」
これまで発表されていたのは、
この銘文には年と日付の干支が記されているので、
ここに書かれている「庚寅」年は西暦570年と確定できるという内容だった。
多くの金石文は年の干支のみの記載なので、
60年の前後(例えば420年と480年は同じ干支となる)によって、
持説に都合よく解釈することができた。
ところがこの鉄剣銘は「西暦570年」と決定される貴重なものだった。
ところが古賀氏はこの銘文の中に、
「日時」と時まで書かれていることの意味を考えた。
日にちだけではなく時も「寅」なのではないか。
となると、「寅」が四つ。「四寅剣」ということになる。
朝鮮から送られたものか、
中国、朝鮮の風習に倣ってこちらで作成したものかは、
金属分析を待たなくてはならない。
となるとなぜ西暦570年に「四寅剣」が作られなければならなかったか。
西暦570年は九州年号によると「金光元年」、
この年に「和僧」から「金光」に改元されている。
改元の理由は何だろうか。
古賀達也氏はともに研究活動をしている正木裕氏から、
『善光寺縁起』に「金光元年庚寅歳天下皆熱病」、
という記載があることを知らされたという。
570年には熱病が大流行したという。
前年に熱病で倭王(九州王朝の王)が崩御し改元したことが考えられる。
熱病の邪気を払うために「四寅剣」を造らせたと考えると、
元岡G6古墳出土太歳庚寅銘鉄剣出土の持つ歴史的な意味づけが
かなりすっきりする。
そしてこの剣は
王室やその一族のみが所有を許される」
のであるから、
大和朝廷から下賜されたとしていたマスコミの報道は
明らかに誤報だったということになる。
日本書紀では西暦570年は「欽明31年」に当たり、
この年の春3月に「蘇我大臣稲目宿禰薨せぬ」とあり、
岩波版注には、
元興寺縁起によると前年の欽明30年に蘇我稲目は死亡したことになっており、
九州王朝の改元と奇妙な一致を見ることができるが、
今回はこれ以上考えすぎないようにしよう。
 
 
 
 

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