|
『論衡』(王充著)には、
「成王の時、越常雉を献じ、倭人暢草を貢す」(巻十九)以外にも、
巻八に「周の時、天下太平、越裳白雉を献じ、倭人鬯艸を貢す。」の記述がある。
論衡は古記録に基づいて漢代(後漢、一世紀)に書かれたものだ。
周代に書かれたとされる『尚書』にも倭人と考えられる記述がある、
と古田武彦は書いている。
「海隅、日を出だす。率俾せざるは罔(な)し。」
この文章を古田は次のように訳している。
「東の海の彼方の一隅に日の出るところがある。
そこに住む夷蛮の地から、
貢献の使者がやってきた。
(そんな遠方まで、およそ貢献しないものはいなくなった。)」
『尚書』の冒頭には次のようなことが書かれている。
「島夷皮服 海曲、之を島と謂う。
島に居るの夷。島は是れ、海中の山。」
東方の島に住む人(倭人か)は獣の皮を身に着けている、という。
さらに『尚書』と同時代の『礼記』には、
「東方、夷と曰う。被髪文身、火食せざる者あり。」とある。
『魏志倭人伝』の記載と共通するものが多い。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]




