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吉野を出て二日目となっても、大海人皇子軍の強行軍は続く。
莿萩野(たらの)で食事をとった後、
さらに現在の国道25号線を東北東に8km程進み
積殖山口(つむゑのやまぐち)に到着した。
ここで甲賀方面から来た高市皇子一行と合流することができた。
高市皇子は近江宮を抜け出して草津経由で
現在のJR草津線が通っているルートでやってきたものと考えられる。
徐々に数を増した一軍は加太越え(伊勢大山、鈴鹿山地)で伊勢の鈴鹿に到った。
ここまでで吉野から約100km。
ここで伊勢国の国司守や湯沐令の一群と合流、
五百軍となって鈴鹿山道を越えて、
20km先の川曲の坂下(伊勢国河曲郡、鈴鹿市山辺付近)到着。
ここで二日目の日が暮れてた。
菟野皇女が疲労の色が濃いので休息をとろうとしたが、
突然の雷雨となり寒くて耐えられなくなったので、
さらに4km進んで三重郡家(四日市市采女町)まで行き、
家を一軒燃やして暖をとった。
吉野から124km。
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2013年03月12日
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吉野宮を出発して日没までに大野(宇陀郡室生村大野)まで行き、
火を灯しながら隠駅屋(名張市)まで、
少なく見積もって42kmフルマラソンの距離を歩きとおした。
横河(名張川)にさしかかると突然空に
十余丈(30m四方程の大きさか)の黒雲が現れた。
異様に感じた大海人皇子は灯を掲げて式(ちく、占いの用具)をとって占った。
「天下両つに分かれむ祥(さが)なり。
然れども朕遂に天下を得むか」
占いの結果、この戦いで勝利を得ることを確信したようだ。
行軍を急いで20km程歩いて伊賀郡に着き、伊賀駅屋を燃やした。
7kmほど先の伊賀の中山まで行くと、
郡司達が数百の兵を連れて集まってきた。
夜明け方には莿萩野(たらの、三重県阿山郡伊賀町付近)に到着、
食事をとった。
ここまで吉野を出てから約80km、
昼夜一睡もしないで歩きとおしたことになっている。
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