のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

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【正史とは】
日本の最初の正史である「古事記」と「日本書紀」の
立脚点の違いについて考えてみたい。
一般には正史は「日本書紀」と言われているようだが、
序文を読むと「古事記」も正史を意図して作られたことは確かである。
正史とは、中国では一つの王朝が滅びた後に
次の王朝に仕える史官が作成するのが通常だったようだ。
編纂された時の王朝が正史と認めたもので、
時の王朝の都合のよいように記述されている可能性が高いことは否定できない。
 
【「古事記」と「日本書紀」の立脚点の違い】
「古事記」と「日本書紀」の違いは、
「古事記」が推古時代までの記述であることに対して、
「日本書紀」は持統時代まで書かれていること。
どちらも神代から「百王相続」している考え方に変わりはない。
「古事記」は712年に撰上されており、
最後の記述が推古帝崩御の年(628年)なので、
84年前のことまでが対象となっている。
それに対して「日本書紀」は720年の撰上で、
持統帝譲位(697年)までが対象なので、
23年前までのことを記述していることになる。
どちらも神武東征以来、大和を中心とした近畿エリア(近江、難波も含む)に
王朝があったことを前提としている。
 
【「古事記」の立脚点】
古事記は前述したように推古朝までの記載なので、
前王朝は推古時代までと認識していることになる。
推古時代までが「古事」で、
舒明帝即位以降は「今事」である。
つまり、現在の政権(元明天皇)が舒明帝からの継続だという認識である。
このことは627年に近畿エリアの覇権を争奪した舒明帝から
息長氏の天下=息長時代である
という立脚点に立っていることを表している。
 
【「日本書紀」の立脚点】
日本書紀は、
大宝律令が成立し、
国名が「倭国」から「日本」に変更されて、
名実ともに近畿エリアで覇権を握っていた息長氏が
「日本国」の代表になったことを背景にして編纂されている。
本来であれば「倭国書紀」となるべきだが、
そうなっていないのは「倭国」が九州王朝のことで、
「九州王朝の存在はなかったことにする」のが
「日本書紀」の前提だったからであろう。
「日本書紀」は古事記と同じように
近畿エリアにおける前王朝の正史であり、
やむをえず「日本」という名称を使用したと考えられる。
「倭国書紀」が存在しないのはそんな事情による。
このことも「倭国」が九州王朝のことを示す状況証拠の一つである。
持統帝までを対象としたことのもう一つの意味は、
律令制(701年以降)の時代はすでに藤原時代に入ったことを
編纂の中心人物だった藤原不比等は秘かに意識していただろう。
藤原時代になって編纂された、
息長時代までを記述した近畿エリアの前王朝史といえるかもしれない。

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