のんびりと古代史

自分なりに「削偽定実」を試みる。

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鼠向倭都

【白雉五年条に二度出てくる「鼠向倭都」】
白雉五年には春正月朔条と十二月八日条に二回、
「鼠向倭都」が出てきている。
 
【白雉五年春正月朔条】
春正月朔条は、前段の白雉四年是歳条を受けた形になっている。
「鼠向倭都而遷」(「鼠倭都に向きて遷る」)
前段では、皇太子(中大兄皇子)が天皇に「倭京に遷りたい」と奏請するが、
天皇は許さない。
皇太子は天皇を置き去りにして、
孝徳帝の姉である皇祖母尊(皇極前帝)、
妻である間人皇后、
皇弟(大海人皇子)や公卿大夫・百官等を連れて
倭飛鳥河邊行宮に遷ったことが記されている。
白雉四年是歳条の最後は、
孝徳帝が自分を見捨てていった間人皇后に宛てた歌で締められている。
岩波版の注には、
「愛する間人皇后が中大兄皇子と心を合わせて大和へ去ったことを嘆じた歌」
とあり、中大兄皇子と間人皇后が兄妹愛の関係であることを
疑っていることが詠みこまれていると述べられている。
「鼠倭都に向きて遷る」
この文脈では、倭(やまと)都に遷った鼠は中大兄皇子のことを指している、
としか思えない。
日本書紀は、天智帝(中大兄皇子)の事績を高く評価しながらも、
所々で批判的な内容を盛り込んでいる。
例えば、
「間人皇后との兄妹愛」、
乙巳の変の功労者蘇我倉田石川麻呂の殺害」、
「有間皇子殺害」など。
天武帝に対しては露ほどもこうした表現は使われていない。
ここでは中大兄皇子=鼠とも受け取れる表現になっている。
 
【白雉五年十二月八日条】
次は白雉五年十二月八日条。
崩御した孝徳帝を大阪磯長(しなが)陵に埋葬すると、
その日のうちに皇太子は皇祖母尊を連れて倭河辺行宮にもどっていった。
「老者語りて曰はく、
『鼠向倭都、遷都之兆也(鼠の倭都に向ひしは、都を遷す兆なりけり)』といふ。」
 
【倭都とは何を意味しているか】
倭都について考えてみよう。
「倭」を倭国=九州王朝の「倭」とすると、
倭都は、太宰府か筑後川沿岸久留米市付近ということになる。
孝徳帝崩御の後重祚する斉明帝は朝倉橘広庭宮に遷都している。
そのことを言っていることになる。
「倭」を大和のことを指すと解釈すると、
「鼠=中大兄皇子が大和に向かうのは、
難波から都を大和に遷す兆候である」
という意味になる。
あるいは、倭=大和では次のようにも解釈できる。
唐・新羅の連合軍による攻撃を恐れる九州王朝が、
信州遷都と同時に大和にも副都を造ろうと画策していたとも考えられる。

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