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パソコンの故障でブログの更新ができなくなり、20日間ほどゆっくりすることができた。
久しぶりの記入、古代史の第一歩である邪馬台国の位置について少々。
【中国正史に残る邪馬壹(臺)国】
邪馬壹(臺)国(中国の史書の書き方、以下邪馬台国)についての詳細は、中国史書にしか記されていない。
日本国には伝承さえも残っていなかったのかもしれない。
したがって邪馬台国の場所を特定するには、中国史書にどう記されているかを確認することが基本である。
【魏志の記述】
魏志倭人伝には
「帯方の東南大海の中にあり」、
「会稽東冶の東」
と二つの地図的表記がある。
帯方は今のソウル付近と言われている。
会稽は現在の紹興市、北緯30度の位置にある。
北緯30度を正確に東へ進むと、日本付近では鹿児島県の屋久島と口之島の間にあたる。
【後漢書の記述】
後漢書は対象の時代は魏志よりも古いが、記述された時代は後になる。
邪馬台国の位置については、魏志の記述を踏襲している。
「倭は韓の東南大海の中」、
「その地、大較会稽東冶の東にあり」、
「朱崖、儋耳と相近し」
朱崖、儋耳は魏志には倭国と風俗が似ているという記述がされている。
【宋書、隋書の記述】
宋書では、
「倭国は高句麗の東南大海の中」と記され、
隋書では、
「倭国は百済、新羅の東南にあり」となっている。
【中国正史の見解は統一されている】
中国正史の記述によると、邪馬台国の位置は皆同じである。
韓半島から見ると東南にあり、揚子江流域の地域から見ると真東に位置すると述べている。
各時代の中国の正史が魏志の記述をそのまま受け入れてきただけなのだろうか。
3世紀から7世紀にかけて中国側の倭国に対する認識は更新されなかっただろうか。
倭国から中国へ使者が渡っているように、中国からも倭国へ渡った人はいただろう。
認識を新たにした後世の王朝が、魏志の記述を承認して踏襲したと考えるのが正当ではないだろうか。
【邪馬台国の位置】
中国の正史は邪馬台国の位置は九州であると述べている。
鹿児島かもしれないし、熊本かもしれないし、福岡かもしれない。
大和(奈良県)ではないと言わざるを得ない。
地図をどう見ても韓半島の東南に近畿地方があるということにはならない。
会稽の東に奈良県があるというような地理認識であったとは考えられない。
中国人にとって古代から太陽が上がる方向を認識することは
今以上に重要なことであっただろう。
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2014年07月26日
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