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【邪馬台国と卑弥呼】
「歴史街道9月号」に遠山美都男氏の邪馬台国論が掲載されている。
邪馬台国に関する研究の論点を整理するためにはよくまとめられていると思う。
記者の質問に遠山氏が答える形式で記されている。
第一部「邪馬台国はどこにあった?」
第二部「女王・卑弥呼の真実とは」
第一部はQ1〜Q10まで「邪馬台国」についての10の質問に答えながら、
最後に遠山氏の結論が述べられる。
第二部はQ1〜Q5まで「卑弥呼」についての5つの質問に対して、
遠山氏の独特の見解が展開されている。
【遠山美都男氏の結論】
第一部で遠山氏は、
「これらの論拠を踏まえた上で、私はやはり畿内説が優位ではないかという考えを持っています。」
と結論付けている。
(「やはり畿内説」の「やはり」は論理的ではない。:ブログ筆者注)
第二部では、
卑弥呼が「神功皇后」、「倭姫命」、「倭迹迹日百襲姫」であったとする説を紹介し、持論である「卑弥呼機関説」を展開している。
つまり卑弥呼は人名ではなく役職名であるという考え方である。
【遠山氏の姿勢には共感するが・・・】
結論はともかくとして、遠山氏が魏志倭人伝を丁寧に正確に読み込もうとしている姿勢には共感することができる。
それだけちゃんとに読んでなぜ「近畿説」だったり、「卑弥呼機関説」となってしまうのか疑問であるが、それはともかくとしてしっかり読もうとしている。
邪馬台国と倭国を正確に読み分けている。
魏志倭人伝には倭国の大乱の様子が描かれている。
大乱は一女子を立てることによって収まる。
その女子の名が卑弥呼。
卑弥呼が「都するところ」が邪馬台国。
「倭国とは、邪馬台国をはじめ伊都国や末盧国といった三十ほどの諸国からなる連合体のことであり、邪馬台国は倭国のうち、卑弥呼の王宮が置かれていた一国にすぎません。」
と正しく定義づけている。
さらに後漢書の記述にも触れている。
後漢の光武帝から印綬を賜った倭奴国はまだ倭国と呼ばれるまでに至っておらず、
倭国と最初に呼ばれたのは同じ後漢書に記された、半世紀後の107年に後漢に生口60人を献じた倭国王帥升のところ、と指摘している。
倭国が成立して最初の国王となったのが帥升ということである。
【遠山氏の論理を狂わす「ヤマト中心主義」】
遠山氏は魏志倭人伝や後漢書などの史書をかなりきめ細かく正確に読んでいるにもかかららず、「ヤマト中心主義」という呪縛にとらわれているために誤った結論に至っている。
第一部の最後に、
「やはり大和を中心として西日本全体を覆うような政治的統一が実現していたということを考えざるを得ないと思います。」
述べているが、「やはり」という言い出しに「ヤマト中心主義」の先入観が潜んでいると感じた。
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